第12話 追憶


「だったら、ぼくがもっとやくに立てれば……。なんでも出来るようになれば……。またお父さんやお母さんと、いっしょにくらせるのかな……」
 その時サクは丁度、小さく震える声を口から絞り出していた。 まるで何か見られたくないものを遮るかのように、自身の顔の辺りには両腕を覆い被せている。
 だが全てを隠し切れている訳ではなく、そのために腕の隙間からは頬を伝って流れ落ちる涙が見えた。
「……」
 木龍はそれを確認したからこそ、険しい表情を浮かべている。 また先程のように大泣きするのではないかと、密かに警戒しているようだった。
 しかしサクは泣きはしているが、本当に静かなものだった。 先程のように感情を爆発させる訳でもなく、心の底から悔しいと思っているからこそ涙が溢れ出しているようだった。
 そしてそれを見られたくないからこそ、決して腕を下げようとしていない。
「ぼくが変われたら、また……。かぞくで、いっしょに……。きっと……」
 口から出る言葉は次第に途切れ途切れになり、鼻をすする音も混じってきている。
「何故だ? 自分は捨てられたというのに、恨み言も口にせず。この子供は……」
 木龍は体を前のめりに倒すと、訝しげに顔を近づけていく。 サクに対する疑問は次々に湧いてきて、どうしても気になるかのようだった。
「血の繋がりがあるとはいえ、ここまでされて何故そこまでなお執着する? それが家族というものなのか? これが人、なのか……?」
 そしてそのまま間近で眺めながら、ひたすら自問自答を続けている。
 一方でサクは顔を覗き込まれているのにも気付かず、静かに嗚咽を繰り返していた。
「そういえば我以外の他の龍達は人と触れ合い、変わっていった。火龍は人に怒り。風龍は人を見下し。土龍は人を嫌った。そして闇龍は人に絶望し、憎しみに囚われた……」
 直後にわずかに目を伏せると、木龍は顔を離して外へと視線を向けていった。 何かを懐かしむような視線の先では、未だに雨が降り続けている。
 時刻はすでに夜となり、悪天候も重なって周囲の視界はかなり悪くなっていた。
 それでも木龍は向こう側を見据えるかのように、ずっと険しい表情を向けている。
 大量に降り続く雨はいくつも深い水たまりを作り、地面はひどくぬかるんでいた。
「一方で水龍は人を慈しみ、光龍は人を好むまでに変わった。龍といえど、変われば変わるものなのだな。だが、我はどうだ」
 そして激しい雨の音にかき消されそうになりながらも、小さい呟きを繰り返している。
「人はおろか、自らに課せられた使命に対しても無気力なまま。そのあげくに答えのない迷いまで抱えている。これで、このままで果たしていいのか……?」
 そこには自身が抱える根本的な悩みがあるのか、顔を俯かせて目を閉じていく。 さらに眉間にしわを寄せながら、誰かに問いかけるかのように呟いていった。
「ごほ、ごほっ……。うっ、けほっ……」
 その時、サクが苦しそうに咳き込んだ。
 木龍はそれに気付くと目を開き、下方へ視線を向ける。
 だがサクの体はもう限界に近いのか、かなり危うい状態に見えていた。
「りゅうさん。ぼく、かわりたいよ……。つよく、かしこくなりたい……。だれよりも、かみさまみたいに……」
 それでも自らが求めるもののため、上へ向けて手を伸ばしていく。 今まで隠していた表情や涙を見せる事にためらいもなく、悪化していく体調を気遣う事もない。
 ただひたすら悲痛な表情をしながら、両手を持ち上げ続けていた。
「……」
 木龍は身じろぎもせずに、目を開いて凝視し続けている。 顔は驚きに満ち、一途に願いを請う姿に心動かされているかのようであった。
 視線は自然と、まるでこちらに向けられているかのような手の方へ向けられていく。
「なら、方法はある。我と同化するか?」
 そして木龍は小さな両の掌の間から顔を覗かせ、ゆっくりと口を開いていく。 次に出た言葉は、サクには全くの未知のものだった。
「え……?」
 だからこそサクは、明らかに戸惑った様子を見せていた。
「我と同化して龍になる事が出来れば、全てにおいて完璧な存在となれる。お前は変われるんだ」
 それでも木龍は構わず、真剣に見据えながらあくまで冗談ではない事を匂わせている。 どうやら本気で同化しようと考え、今の提案をしているようだった。
「りゅうさん、それって。ぼくがりゅうになるってこと……?」
 サクは疑問の表情を浮かべながらも、上半身を起こしていく。 そして顔を突き合わせながら、じっと見つめつつ問いかけていった。
 ぼうっとしたままでうまく頭は働かず、混乱もしているが懸命に考えているらしい。
「あぁ。体だけでなく、存在までもが人でなくなる。代わりにお前は手に入れる事が出来る。不滅の命や、人では持ち得ない深遠な知識」
 木龍は深く頷くと、そう答えていく。
 一方でサクは即座に拒否するような事はせず、落ち着いてじっくりと考えている。 どうやら同化の話を信じ、それを行うつもりもあるようだった。
「そしてあらゆるものをひれ伏させる絶大な力を……」
 そのために木龍も急ぐ必要はないと判断したのか、自身の力の一端を見せようとする。 説明を口にしつつも、眼前で紋様を光らせていった。
 緑色の輝きは光がほとんどない暗い周囲を照らし出し、そこから見える景色を一変させていく。 昼間以上に輝く姿は、まるで地上に現れた星のようだった。
「うわぁ……!」
 サクは神々しさや華々しさに満ちた光景を見て、驚嘆の声を上げていく。 先程に説明された事をどれだけ理解しているのかは分からないが、とにかく凄まじいのだと認識はしたようだった。
「りゅうさん。ぼく、なりたい。りゅうになりたいよ……」
 そして心は完全に固まったのか、目を見開いたまま小さく呟いていく。 自分の意思を伝えるかのように、手はゆっくりと伸ばされていった。
「そうか。ならば、同化しよう」
 木龍もそれを受け入れ、手は体に触れていく。
 その瞬間、周囲は先程よりも激しい緑色の光に包まれていった。 それはまるで、世界そのものが変化するかのような衝撃を伴っている。
 そうしてサクと木龍という、人と龍の同化は始まっていった。

「我は何故、そんな事をしたのか……。人など虫や獣と同じ、程度の低い動物だとして興味など持っていなかったのに……」
 先程までいた場所とは似ても似つかない緑色の空間の中で、木龍は自問自答を繰り返している。
「あの子供を見ていたら、ふと思った。この子供は将来どうなるのか。龍という力を手に入れたら、どう変わっていくのか……」
 すぐ目の前には、穏やかに目を瞑っているサクの姿があった。
「無垢なまま育っていくのか、それとも両親に復讐するのか。素直に見てみたいと思った。そう思った時点で、我もいつの間にか他の龍のように変わっていたのかもしれない」
 木龍はじっと見つめながらそう呟き、目をゆっくりと閉じていく。 外見は次第に透けながら、輪郭はあやふやになっていった。
 やがて緑色の輝く粒子へと姿を変えていった木龍は、存在ごとサクの中に入り込んでいった。
「それも全てはあの子供を発端としている。我はきっと、初めて人というものに興味を持ってしまったのだ」
 同化を進める木龍はすでに、目の辺りしか残っていない。 ただ残滓であろうと、眠りこけるサクを見つめるのは止めなかった。
「人との触れ合いの中で、自身の迷いや疑問に答えを見出せるかもしれないという計算や期待もあったのも確かだが……」
 そしてわずかに残った存在も、そう言いながら消え失せていく。
「とにかく、我は……。そこにいた龍という存在は、同化という選択をし……。人と一つになる事を望んでいったのだ」
 声は小さくなりながら聞こえなくなり、緑色の輝きはサクに向かって集束していく。
 そしてその場には何の声も聞こえなくなり、緑色の光も次第に消え失せていった。
 穏やかな緑の輝きに満ちた空間の中では、サクが静かに眠り続けているだけとなっていた。

「ねぇ、りゅうさん」
 サクは同化が終了したのを感じ取ると、目よりも先に口を開いていった。 すでにそこは緑の空間ではなく、先程までいたいた森の中である。
 まだ夜は深く、雨も降り続けていて目立った変化などはない。
「おわったの? もういい?」
 それでも自身には生まれ変わったかのような、不思議な高揚感がある。 少し興奮気味で目を開くと辺りを見回し、木龍を探す。
 しかし直前まで側にいたはずだが、今はどこにも姿がない。
「ねぇ、りゅうさん? ……そっか。ぼくとりゅうさんは、一つになったんだよね」
 サクは立ち上がって遠くの方を見渡すが、答える者もいない。 まだ戸惑いは残りつつもわずかに考え込んだ後、結論に至ったようだった。
 そこにはすでに子供らしからぬ冷静さや、大人びた落ち着きが見て取れる。 手は自身の胸の辺りを擦っており、口元はどこか嬉しそうに綻んでもいた。
「でも、本当にこれでぼくはりゅうになれたのかな……? だったら、もう何でも出来るのかな……」
 そしてやや疑問を浮かべながら、改めて体を眺める。 物珍しさそうな視線で、その場でくるくると回転もしながら新たな自分を再確認していった。
「ようし、それなら……」
 さらにいつの間にか体調は回復していたようで、先程とは打って変わって敏捷な動きを見せている。
「よっと、ほっ……」
 複雑に絡み合った大樹の根を器用に登り、木龍がいた太い幹のすぐ前の辺りに辿り着いた。
「これで僕の願いも叶うんだよね……」
 そして息を切らす事もなく、そう言いながら満足気に辺りを見下ろしていく。 自身ではまだ気付いていないようだが、体には緑色の紋様が光を放っていた。
 輝きはまだ弱く、大きさも木龍が見せたものより遥かに小さい。
 だがそれでも今のサクは自信に満ち、顔からは喜びや希望がありありと感じ取れていた。


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