第12話 追憶


「それはね、ホウテンさんの本当の気持ちを分かってないからだよ」
 次にチカは優しく微笑んだまま、じっと見つめながら話し出す。 そこには相手を馬鹿にしたり、騙すような邪な気持ちは微塵も感じられない。
「意味が分からない……」
 だがサクの疑う気持ちは消えず、答えの出ない悩みに苦しんでいた。
「じゃあさ、じっくりと考えてみたらどう? どうしても分からなかったら言ってよ。いつでも教えてあげるからね」
 チカは微笑ましく見つめると、今度はそう言ってくる。 片目を瞑って笑いかける様は、どことなく得意げだった。
「お姉さんぶらないでよ」
 しかしサクはそれを見ると顔をしかめ、不満気に呟いていく。
「うふふっ、じゃあまた今度に遊ぼうねー」
 チカは今回は話をするだけで満足したかのように、そう言うと後ろに下がっていった。
「……約束は出来ないよ」
 一方でサクはようやく諦めたのかと思って溜息を小さく漏らしながら、暗い表情で呟いた。
「いいよ、別に。あ……。そうだ」
 チカは後ろ足で下がりながらまだ笑顔を向けていたが、次の瞬間には何かを思い出したように止まっていった。
「お近づきの印にこれあげるね」
 そして眼前まで戻ってくると、そう言って何かを差し出してくる。
「えっ……?」
 サクは手渡されたそれを受け取ると、しげしげと眺めていく。
 それは種類はよく分からないが、丸い形をした果物のようだった。 柑橘系の匂いがしてみずみずしく、色などからもとてもおいしそうに見える。
「何これ……? 食べて大丈夫なの?」
 だがサクはまじまじと眺めるだけで、すぐには食べようとしない。
「近くの木で取ってきたの。良かったら食べてみてね」
 チカは苦笑しつつそう言うと、今度こそ部屋の外へ出ていってしまった。
 ここへやってくる時も唐突であり、いなくなるのもいきなりである。 まるでぱたぱたと走り回る子犬のような軽快な動きをしており、動きは予測が付け辛い。
「もう……。言うだけ言って、行っちゃったよ」
 だからサクは礼を言う暇もなく、手持無沙汰に果物を持って呆然としていた。
 それから少しの間、溜息をつきながら縁側へと抜ける開かれた襖の方を眺めていく。
 するとそこからは部屋の中に冷たい風が容赦なく入り込み、温度を急激に下げていった。
「人の心にずかずかと入り込んできて……。あれじゃ、とても気を許せるものなんかじゃないよね」
 サクはだるそうな顔をしながらも、襖を閉めるために毛布をどかして起き上がっていった。
 ただしすぐに襖を閉めるような事はせず、部屋から外の景色を眺めている。
「全く、ここの人達は皆こうなのかな……」
 そしてやや疲れたような顔で外を見つめたまま、貰った果物に口をつけていった。 果物は噛んだ瞬間にみずみずしい果汁が口の中に広がり、歯ごたえのある果肉は小気味いい音を立てていく。
 サクはそのまま果物を何回も口にしながら、ずっと外を見つめている。
 先でははまだ雪が降り続き、そこかしこを白く染め上げている。 まるでそれは、目に見えるものの全てが変わり切ってしまったかのようだった。
 しかしサクが今、本当に感じているものはその中にあっても変わらないものなのかもしれない。
「うん。結構おいしいね。これなら好きになれるかも」
 口にした感想は果物の味に関するものとも、それ以外のものとも受け取れる。 真意を知っているのは、当人だけのようだった。
「別に必要以上に身構える事なんてなかったのかもね……」
 そしてそれからも襖を閉める事もせず、縁側へと躍り出ていく。 なおも果物は口にしたまま、あまり感情のない視線を外に向けていった。
 ここに来て初めて自分と周囲のものに折り合いをつけようとしているのか、いつになく顔は真面目なものだった。

「ふんふーん……」
 サクは果物を口にしながら、鼻歌交じりに屋敷の外を散歩している。 かじるたびに心地いい音が発せられ、その後には機嫌の良さそうな声が出ていった。
 まだ空からは雪が降り続けているが、全く気にする様子はない。
 むしろ一面が白く染まった世界の中、その景色を楽しむかのようにくるくると何度も回転していた。
「?」
 そんな時、前方の方にいくつかの人影を見つけて立ち止まる。
 目を凝らして前方を見ると、そこにいたのはホウテンと二人組の男だった。
 どうやら男達はホウテンの知り合いのようだったが、サクはまだ会った事もない。 加えて向こうの雰囲気はどこか険悪で、簡単に立ち入れそうなものでもなかった。
 そのために思わず屋敷の影に隠れると、そこから聞き耳を立てていった。

「ほら、今回の分だよ」
 あまり機嫌の良くないホウテンは、しかめっ面のまま何かを手渡していく。
「それじゃ確認させてもらおうか」
 妖しい風貌の二人組の内、人相の悪い男の方が紙に包まれたそれを受け取って中身を確認していく。 顔には大きな傷があり、どことなく危険な雰囲気を漂わせていた。
 さらに隣には無骨そうな青年がいて、雪よけ用の傘を差すと共に提灯も持っていた。
「ったく、何でわざわざ寒い外でやるんだ。中に迎え入れて茶でも出せばいいのに……。これがこんな僻地までやってきた人間に対する礼儀かね……」
 そして不満げに呟くと、寒そうに体を震わせていた。 余程寒さが我慢ならないのか、鼻水をすすりながら文句も言っている。
「子供達にあんた達の姿を見せるのは教育上よくない。それにあんた達は金さえ手に入れば満足なんだろ?」
 一方でホウテンも気が乗らない様子で、不満を隠そうともしていない。
 表向きは何ともないが、それから二人はじっと睨み合っていた。
「……確かにな。すぐ済むならそれに越した事はねぇ。他にも回らなきゃいけない所があるんだ。我慢しろ」
 だがその直後、年をとった方の男が金を数え終えたのかそう言って紙を服の中へしまっていく。 視線は不服そうにしている隣へ向けられ、口調は咎めるかのようだった。
「へーい……」
 青年はそれに一度は頷くが、どう見ても納得しているようには見えなかった。
「もう終わったんだろ? だったらさっさと帰ってくれよ」
 ホウテンは腕組みをしたまま、あくまで迷惑そうな顔でそう言う。
「それはいいが……。今回は随分と少なかったな。利息分を抜いたら元金をほとんど返せていない。俺達は構わんが、こんなんじゃいつまで経っても借金は終わらないぞ?」
 男は視線を正面に戻すと、淡々としながらも厳つい声をかけていく。
 さらに目には力を込めながら、懐に入れた金を見せつけていった。 それは脅しも含めた、警告のようなものにも感じられる。
「悪かったね。これでも精一杯なんだよ」
 しかしホウテンはそれを無視するかのように横を向き、まともに相手をしようとはしていない。
 それを見ていた青年は態度が癇に障ったのか、少し顔をしかめていた。
「そうか。もし、支払うのがそんなに大変だって言うなら……。別の支払い方法だってあるんだぜ?」
 ただ隣の男は大した反応を見せず、そう言って金を再びしまっていく。
「金を集めるのに随分と苦労しているみたいだが……。何も物ばっかりが金に換えられる訳じゃない。人間だって、立派な金になるんだぜ?」
 さらにそう言うと、じっと見透かすかのように眺めていった。 そして見た目には合わないくらいに口元を歪め、目つきもどことなく暗さを増している。
「それは……。どういう意味だい」
 ホウテンも最初は無視しようと思っていたが、雰囲気に呑まれるかのように反応してしまった。 疑問に満ちた視線は、真っ直ぐに向かっていく。
 だがそれに対し、男は意味深な笑みを見せるだけで何も答えない。
「分かんねぇかな。兄貴はここの餓鬼共を売れって言っているんだよ」
 直後に口を開き、疑問に答えたのは青年の方だった。 嬉々とした様子に加え、乱暴に言い放っていく。
「……!? ふざけなるな! そんな事、私が認める訳がないだろう!」
 それを聞いた瞬間、ホウテンの表情は一変した。 今までにない怒りの表情を浮かると、男達に詰め寄っていく。
「ま、あんたがそれでいいなら構わないさ」
 しかし男はあくまで余裕を保ち、仕切り直すかのように目を閉じて頷いていく。
「そ、そうですね。こっちは金を返してもらえれば、それでいいんだ」
 一方で青年は豹変した相手に驚いたのか、咳払いの後にそう言っていた。
「……それにしても、そんなにあいつ等が大事なのか」
 男はやや遠い目をしながら一息つき、少し離れた屋敷の方を眺めていく。
 するとホウテンはそれに追随するかのように、慌てて後方へ振り返った。
 もしかしたら先程の声を聞きつけて、子供達がやって来てしまったのかもしれない。 そう考えたのかもしれないが、幸いにも誰の姿も見られはしなかった。
「……」
 そのためにホウテンは安堵したのか、胸を撫で下ろしていた。
「自分の家族は見捨てたくせにな?」
 男はその様子を見ると口の端を大きく上げ、糾弾するかのように言ってきた。
「……!」
 そしてそれを聞いたホウテンは身を震わせながら、驚いたかのように目を見開いていった。
「兄貴。どういう事です、それ?」
 一方で青年には何の事か分からず、疑問の表情で聞き返していく。
「あぁ、昔こいつはな。氾濫した川に流されていく、自分の妹を見捨てたんだ」
 男はやや得意げに答えると、ホウテンの方を指差した。
「え……?」
 その時、話を盗み聞きしていたサクは自分の耳を疑っていた。 目は大きく見開かれ、混乱と同時に強い興味を抱いていく。
 そしてもっと話を聞こうと、あちらからは見えないように気を付けつつも身を乗り出していった。
「まぁ、あの時は嵐だったから仕方ないかもしれないが……。そういえばここにも、その時に親や兄弟を失った子供がいるって話だったな」
 男は聞かれているとも知らず、ただホウテンを非難するかのように話し出す。 目付きはどことなく冷たく、いたずらに感情を煽っているかのようだった。
「そいつらを育てて免罪符代わりにしているつもりか? 自分が辛い過去から目を逸らすだけのためにそんな事を続けて……。果たしてそれで本当に罪滅ぼしになるのか?」
 そしてさらに言葉も加え、心を揺さぶりにかかる。 雪がかかるのにも構わず、傘の下から進み出ていった。
 眺める視線の先には、何かを堪えるかのように顔を俯かせるホウテンの姿がある。
「……あんた達に何が分かる」
 顔はずっと険しいままで、唇は強く噛み締められていた。 体は強く震え、それは寒さが原因ではないのが雰囲気から何となく分かる。
「お前の事情なんて知った事か」
 それでも男はなおもそう言い、非常な視線で睨み付けていく。
 一方でホウテンは何も答えず、ただ耐えるかのように押し黙っていた。
「なぁ? あいつらは所詮、血の繋がっていない子供なんだろ? だったら、あの時より大分やりやすいだろう。見捨てちまえよ……」
 男はやおら顔を近づけると、笑みをこぼしながら耳元へ語り掛けていく。 追い打ちのような言葉は、弱った相手を狩ろうとする容赦のないものだった。
「そうすりゃ昔を思い出す事だってなくなる。これからは以前より、よっぽど楽になれるんだぜ?」
 さらに自分は味方だと言わんばかりに、男は先程までとは打って変わって優しげな言葉を投げかけていく。
 そそのかすかのような言葉は、そのままホウテンの耳へとすんなりと吸い込まれていった。


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