第12話 追憶


「そんな……」
 サクは目の前の光景に目を奪われ、絶望の声を漏らしている。 体は現在より小さく、顔つきも大分幼く見える。
 だが表情は今までに見た事のない程、衝撃に満ちていた。
 その時に立ち尽くしていたのはかつて村と呼ばれていた場所だったが、ひどい水害に襲われて全てが変わってしまっていた。
 泥に塗れた辺りには無事なものはほとんどなく、壊れた家々や傷ついた人々がそこかしこに見られる。 そこでは死体も珍しくなく、サクの知り合いも多くが無残に転がっていた。
「うそだ……」
 自分の目に飛び込んでくる悲惨な光景を前に、何度も首を横に振って否定する。 しかしいくらそうしても眼前の光景は変わらず、ただ体を恐怖に震わせるしかなかった。
 元々サクの故郷は、川と山に挟まれた小さい村だった。 そこはのどかなどこにでもあるような所であり、大きな災害などもほとんど起きた試しがない。
 だがつい最近、経験した事のない程の大雨が降ってすぐ近くにあった川が氾濫した。
 そこから溢れ出てきた水と土砂は分け隔てなく、全てを押し流していった。
「いやだよ、こんなの……。信じられないよ……」
 残酷な現実を理解したくないのか、サクはずっと呆然としたままだった。
 そんな時、背後から男女がやって来る。 二人はサクと同様に着の身着のままで逃げ出したようで、手足も泥だらけになっている。
 疲れ切った表情をしているが、どうやら数少ない生存者のようだった。
「お父さん、お母さん」
 サクはそれに気付くと振り返り、明るい表情を浮かべる。 惨状の中にあって、初めて安堵していたようだった。
「すまんな、待たせて」
 父親とおぼしき大人の男はそう言うと、近づいて頭を優しく撫でていく。
 サクは嬉しそうな顔をして、黙ってそれを受け入れている。
「ごめんなさい、サク……」
 しかし対照的に母親と思われる大人の女は困った顔をして、何故か謝っていった。
「あれ? どうしたの、二人とも……?」
 サクは様子がおかしいのを見ると顔を傾げるが、よく見ると父親の方も憂いを帯びた表情をしていた。
 ただ両親はまともに見返す事が出来ないのか、純粋な視線に対して顔を逸らしてしまう。 その行動はまるで、どこか心苦しい事を隠しているかのようだった。
「ねぇ、おなかいたいの?」
 サクは悲痛そうな両親を疑う事もなく、それどころか心配そうに手を取っていく。
「すまん……! 本当にすまん、サク……」
 その優しさと温かさに触れ、父親は再度謝ってくる。 表情はさらに苦しげになっていて、いつもとは明らかに様子が違っていた。
「ほんとうにどうしたの? なんかへんだよ、二人とも……」
 サクもどこか歪な雰囲気を感じ取ったのか、訝しむような顔で両親を見上げていく。
「あ、いや。何でもないんだ。お前は何も気にする必要はないんだよ」
 だが父は何かの発覚を恐れるかのように、途端に慌ててそう弁明するだけだった。
 隣にいる母もそれに頷きながら、ひたすら愛想笑いを浮かべている。
「……?」
 サクは不思議がりつつも、確かな疑いがある訳ではないので納得せざるを得なかった。
「そ、そうだ。そろそろ行くとしようか。さぁ、サク。こっちだよ……」
 そんな時、父は急に話を変えるように言う。 さらに手を握ってくると、そのままどこかへ引き連れていこうとした。
「え……? どこに行くの、お父さん……」
 サクは突然の行動に驚きつつも、それについていく他はない。
 何も答えずに振り返ろうとさえしない父に引かれ、急ぎ足で進んでいく。 後ろからは浮かない顔をした母親が、無言のままでついていっていた。
 そしてまだ状況をよく理解出来ていないまま、村の近くの森の中へと入っていった。

 しかし森に入った途端、待ち構えていたかのように何者かが姿を現す。
 彼等は誰もが似た仮面を被り、一見しただけでは男女や年などの区別もつかない。
 だが手や足などの所々に泥が付着していたり、あるいは水で濡れて乾いていない部分もある。 もしかしたら彼等は同じ村に住む者で、水害の数少ない生き残りなのかもしれなかった。
 だがそうだとしたら、こんな所で一体何をしようというのかが分からない。
 他にやる事はいくらでもあるはずなのに、サクの両親もそうだが生き残った者達は何故かここに集ってきていた。
「うぅ……」
 一方でそれを見たサクは少し怯えて父に縋り付くが、両親は動じる様子を見せていない。 やはりその者達は顔見知りなのか、取り囲みながらも危害を加える様子はなかった。
 そしてその中でも一際目立つ立派な仮面をつけた、背の曲がった恐らくは老人が前に進み出てくる。
「準備はこちらで整えておいたぞ」
 杖を突いた老人は渋い声を出し、両親の方を眺めていく。
「ありがとうございます……」
 父はそれに対して短く礼を返すと、力なくそう言った。
「それで選ばれた子は? この子か……?」
 人とはかけ離れた特異な仮面を被った老人は視線を下げると、見定めるかのようにじっと見つめていく。
「……!」
 異様な雰囲気や急に向けられた視線に改めて驚いたサクは、思わず父の後ろに隠れていった。
「はい、この子です」
 しかし父は無理に前に引き出していくと、真剣な顔で答える。
 サクはただいつもとはまるで違う両親の様子に戸惑い、何も言えずにただ従うだけだった。
「よろしい。では、これを……」
 老人は深く頷いた後、片方の手を仰々しく上げていく。 それは何かの合図だったのか、直後から周囲の人間が慌ただしく動き出す。
 やがて彼等が持ってきたのは豪華な羽織であり、有無を言わせずにサクに着させていった。
「えっ……? えぇ……?」
 一方でサクはどうしたら分からずに両親の方へ目をやるが、特に止められはしない。 そのまま羽織を着終えると、目の前に改めて老人が立ってきた。
「選ばれし子供よ。お主は高貴なる存在となり、新たな地へ旅立つ事となる」
 そして仮面の奥から瞳を覗かせ、じっと見つめてくる。 それはこれまでで唯一見せた人らしい部分であり、この時だけはサクも興味深そうに見上げ続けていた。
「幼き身で父や母と分かれるお主に、せめてもの慰めとして我らの祈りを捧げよう」
 さらに儀式めいた動作を繰り返した後、老人はそう言いながら首を垂れて目を瞑る。
 それに呼応するかのように周囲の者達も、同様に頭を下げて目を閉じていった。
「うぅっ……」
 何もかもが未知の連続であり、サクは相変わらず戸惑ったままだった。
「次に供物を清める。あれを持ってくるのだ」
 そして老人は元の態勢に戻ると、周りの者達に新たな指令を下していった。
 相変わらず説明のない状況にサクが疑問を感じていると、そこには何かが運ばれてくる。 仮面をつけた男達が小さな皿の上に乗せて持ってきたのは、新鮮な果実のようだった。
 さらにそれは目の前に差し出され、自由に取っていいと言わんばかりだった。
「いいの?」
 サクはお腹が空いていたのか、口に手を当てて物欲しそうな顔をしている。
「あぁ、好きなものを頂きなさい」
 父は先程までとはまるで違う様子で、わずかに微笑みながら優しく言った。
「どれでも?」
 サクはそれを聞くと、皿に顔を近づけていく。 どの果実もおいしそうで、どれを選ぶか迷っているようだった。
「それらは全てこの森で取れたもの。どれを食しても神域の存在を体に取り入れられる。早く現世の穢れを浄化させるといい」
 老人はそれを眺めつつ助言のような、あるいは単なる説明のようなものを言っている。
「うーん。じゃあ、これ! あ、でも……。お父さんとお母さんは?」
 だがサクの耳には届いておらず、頭の中は目の前の果実で一杯になっているようだった。 それでも両親の事が頭によぎったのか、果物を手にしたまま後ろに振り返る。
「私達はいいんだ。いや、食べてはいけないんだよ……」
 父はそれに対し、静かに答えるだけである。 瞳はいつもより細まり、どこか同情や憐れみが含まれているかのようだった。
「ふーん……」
 ただし幼いサクではそこまでの機微は感じ取れず、言う事を素直に聞こうとしている。
「それから一応、龍神様にお礼を申し上げなさい。ここは龍神様の住まう森なのだから……」
 父はそんなサクの頭を愛おしげに撫でると、続けてそう言う。
「うん、じゃあ……。りゅうさん、いただきます」
 サクは頷いた後、先程に周りの者達がやっていたように目を閉じて深く礼をする。
「そうだ。いい子だよ、サク……」
 父はその姿を目に焼き付けるかのように、瞬きもせずにずっと見つめていた。
 一方で隣にいる母は見ている事も出来ないのか、顔を横に逸らしている。 目には涙が溜まり、拭わねばならない程にもなっていた。
 そしてサクは礼を終えると、ようやく果実を口にする。 その瞬間に口の中には酸味が混じった程良い甘みが広がり、水分によって喉に潤いも満ちていった。
「ん〜! おいしいね、これ!」
 サクは一口で気に入ったのか、嬉しそうな顔をして一気に食べ切ってしまう。
 そしてそれを確認し終えると、仮面の者達は何も言わずに左右に広がっていく。 囲みを解くその様は、まるで道を譲るかのようだった。
「さぁ、サク。あともう少しだよ」
 父は仮面の者達を一瞥した後、そう言ってまた手を引いていく。
 サクは指についた果実の残りを舐めながら、また深い森の中へと踏み入っていった。 そこは湿気と生物の気配に満ちていて、濃密な独特の匂いが鼻を刺激していく。
「うわぁ……。すごい、すごいよお父さん! ねぇ、あれを見てよお母さん!」
 そんな中でサクは歩く度に様々な植物や動物を見つけ、その度に両親に報告していく。 他にも鳥や虫などありとあらゆる自然に触れながら、楽しそうにはしゃぎ続けている。
 しかしそんな生き生きとした姿を、両親はただ心苦しそうに見つめているだけだった。


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