第11話 闇


「げほっ、げほっ! あー、苦しかったぁー! 死ぬかと思った!」
 それでも体はやはり並のものとは違うのか、サニはすぐに元の状態に戻りつつあった。 口調は軽く、先程まで瀕死だったとはとても思えない。
「いやー、あの水の塊を消してくれたのは嬉しいけれどさ。生憎と戦いを終わらせるつもりはないのよぉ。これは誰のためでもない、あたいのための戦いなんだからねぇ」
 そして笑顔を浮かべると、顔を水で濡らし切ったままそう言ってのけた。 満面の笑みに加え、今もこうして生きているのはやはりどう考えてもおかしかった。
 だがサニは本当に楽しそうで、喋りながらずっと笑っている。
「……」
 一方で少し離れた位置から戦いを見ていたリツカは、驚きに言葉を失っていた。
 水龍も例外ではなく、険しい表情で見つめている。
「いや。しかし。人は見かけによらないって奴かねぇー。あんた、笑顔で人を殺せる人間って奴かい?」
 そんな中でサニはいつもと同じ調子のまま、首を回しつつ尋ねていく。
「当然です。温かい水でしたらそれはお湯と呼ばれます〜。その逆で冷めているからこそ水と、そう言われるんですよ?」
 ユウエは初めは暖かく、緩やかに答えていく。 しかし次は一気に冷たく、鋭い答えを返していった。
 緩急のついた言葉は普段の雰囲気などは微塵も感じられず、まるで別人のようだった。
 それはサニの力を間近で感じたため、そうならざるを得なかったのかもしれない。 いやあるいは、今の姿こそがユウエの秘められた本性なのかもしれなかった。
「……」
 ツクハも変化を敏感に察知しているのか、固唾を飲んで事態の行く末を見守っている。
「いきなり訪れてこのような蛮行を続け……。一体、あなた方の目的は何なのですか……」
 そんな時、ふと水龍は口を開くと問いかけてきた。
 本気で自分達に襲いかかるならば、もっと強い力で果敢に向かってくるはずである。 しかしサニからは、そのような兆候は見られない。
 この襲撃に関して疑問を感じ、それを推し量っているからこそ今までずっと難しい顔をしているようだった。
「相変わらずお前は生温いな。敵対する者など、問答無用で屠ればいいものを……。いちいち話し合いを試みるとはな」
 だがそれに答えたのはサニではなく、ツクハの背後から怒気の含んだ声が発せられていった。
「あなたは……! 闇龍……!」
 水龍はそれを見ると顔色を変え、少し後ずさっていった。 ツクハを見て闇龍の存在を予想はしていたが、やはり驚きが勝るようだった。
「ほう、俺を覚えているのか。裏切り者が……。俺の事など忘れて人間共と安穏に暮らしているのかと思っていたぞ。平和に、幸せにな……」
 現れた闇龍は顔をしかめ、厳しい表情で強く睨み付けている。 さらに前傾姿勢のままで、今にでも襲い掛かりそうだった。
「闇龍……。あなたは未だに憎しみに囚われているのですね」
 しかし水龍は対照的に悲しげな瞳をして、小さく呟いている。
 相対する龍同士はそれぞれ別々の感情を抱き、互いの事を見続けていた。
「もう、あなたを苦しめた人間達はどこにもいないというのに……。あなたが信じたあの人間も、今の姿を見たら……。どんなに悲しむのでしょう……」
 次に水龍は目を細め、顔を俯かせながら静かに口を開いていった。
「黙れ……! お前がそれを口に出すな!」
 しかし闇龍は昔語りに対し、表情を一変させると突如激昂していった。
「あぁまでされても人間を見限る事の出来ない、愚か者が……!」
 射殺さんばかりの眼力をして大きな声で叫んでいくと、辺りからは至る所から闇が噴き出して周囲を黒く染め上げていく。
「ひっ……」
 リツカは離れた位置にいても、それを見て恐怖に怯えてしまった。 小さな声を漏らすと、全身を震わせて視線を向ける事すら出来なくなる。
「あら……。大丈夫ですよ〜。私達は話し合っているだけですから、心配しないでください〜」
 ユウエはその時になってリツカに気付いたのか、そちらを向くと優しく微笑んでいく。
「……ユウエ様」
 リツカはおかげで安堵出来たのか、徐々に体も震えなくなっていく。 それでも心臓はまだ強い鼓動を刻み、龍の怒りの衝撃に動揺し続けていた。
 だがここまで怯えてしまうのも無理はないくらい、先程の咆哮は凄まじいものだった。 肉体がないはずなのに空気は震え、空間を歪ませたかと思える程だった。
「そうそう、大丈夫だよぉー。別にこの人の命を奪おうって訳じゃないからねぇー」
 しかしサニは大して怯えた様子も見せず、いつも通りに振る舞っている。
「あれだけ盛大に武器を振るっておいてよくもそう、いけしゃあしゃあと言えるわね……」
 ツクハも同じようで頭に手をやると、軽く溜息をついていた。
 睨み合う龍を横目に、リツカ以外の三人は特に普段と変わらない。
 素体は見た目は人間と同じでも、実際は異なる存在である。 それでも体を構成する物質はほとんど変わらないため、人間とかなり近しいと言っていい。
 だが龍と同化、またはその肉を体に埋め込んだ者は違う。 すでにその者は人間ではなく、素体とも違う全く別の存在になっている。
 要は三人は龍と繋がった事により、リツカよりもよっぽど龍に近い存在になったという事である。 そしてだからこそ、あぁまで平然としていられるのかもしれなかった。
 その様はまるで、すでに三人が人や素体などとは隔絶した龍の世界に生きつつあるかのようだった。
「もう、ツクハっちったらぁー。そんな事は気にしないでよ!」
 やがて弛緩した空気を満喫するかのように、サニは笑顔のままで歩み寄ろうとしていった。
「その呼び方、止めてくれる……?」
 しかしツクハは呆れたような態度を変えず、逆に距離を取っていった。
「つれないなぁー。ま、別にいいか。これもどうせただの暇つぶしぃ。あと少しで終わる所なんだし、ねぇ……」
 サニは残念そうな表情を浮かべていたが、本気で思っている訳ではないのかすぐに立ち直っていく。 顔には不敵な笑みを浮かべ、好戦的な気配も漂わせている。
 辺りは一気に緊張感が高まり、いつ戦いが再開されてもおかしくはない。
 すでにサニは水の武器の軌道を見切っているのか、やや侮っているような雰囲気も見せていた。
「……すみません、ユウエ」
 一方で水龍は向けられる視線に対するより、隣に話しかけるのを優先させている。
「はい、分かっていますよ〜」
 ユウエも何を言おうとしているのかをきちんと理解しているのか、落ち着いた様子で答えていった。
「それでも謝らせて下さい。あなたにこれ以上、誰かを傷つけさせるような事はさせたくないのですが……」
 だが水龍はそれでも顔を俯かせ、心苦しそうに呟いていた。
「構いませんよ。そうしなければさらに多くの人が傷ついてしまうのならば。私は、どんなひどい事だろうと厭いませんから……」
 それに対してユウエは努めて明るく、気丈に振る舞っている。 同時に目はゆっくりと開かれ、わずかだが青い輝きを纏って一瞬だけだが光を放ったように見えていた。
「あははっ! それじゃあ、いっくよぉー!」
 その直後、サニは笑いながら突撃していく。 そして今までと同様に、苛烈な攻撃を繰り出していいった。
 しかし今回からはそれだけではなく、鎖を組み合わせた攻撃も混ぜ合わせていた。 それらは驚異的な身体能力と相まって、縦横無尽に襲いかかっていく。
「これは確かに……。大口を叩くだけの事はあるわね……」
 ツクハは端で戦いを眺めながら、深く意識せずにそう呟いていた。 どうやらサニの猛攻は、素体の動体視力を持っても追うのがやっとのようだった。
 もしもその攻撃が自身に向けられたら、避けられるかどうか自信がない。 そう思ったからなのか、眉間にしわを寄せてわずかな恐れと緊張感に包まれてもいた。
「あ……。あぅ……」
 そしてツクハですら全ての攻撃を読み切れないのなら、リツカは全くといっていい程に分かるはずがない。 だからなのか、目を丸くして混乱した様子で右往左往していた。
「ふぅ……」
 そんな周囲の反応をよそに、ユウエは非常に落ち着いていた。 すでに準備は万端といった風であり、慌てる必要すらないと言いたげにも見える。
 龍の力によって実際には有り得ない程の硬度を得た水は淡々と攻撃を捌きつつも、決して反撃に出る事はない。
 ユウエは後方でただひたすらに、サニの一挙手一投足を見つめ続けていた。
 やがて落ち着きが示す通りに戦いは進み、あれだけの力を示したサニでも全く戦いを優位に進められないでいた。
「あ、あれぇ……? おっかしいなぁ−」
 まずサニは不思議そうな顔をして、不思議そうな声を上げていく。
 間違いなく相手の動作は完全に読み切っていたはずだが、段々と水の武器が体に命中してしまう。
 どうやら相手の動きを見切っていたのは、実は防戦一方に見えていたユウエのようだった。
「う、嘘でしょぉー」
 予測のつかない展開にサニの頭は混乱し、思わず頼りない声を上げてしまう。
 自分がどう攻撃しようと、行き着く先には必ず水の武器が待ち受けている。
 いくら奇抜な攻撃を繰り出そうとも、結局は水の武器によって弾かれてしまう。
 完全に動きを読まれたサニはすぐ目の前のユウエに攻撃を当てるどころか、逆に攻め込まれつつあった。
 そして戦いの全ては、次第にユウエの思うがままに進んでいく事となっていた。


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