第10話 風


「うーん。まさか今ので死んじまった訳じゃないよなぁ? って、やべ……。そういや、手を出しちゃいけない奴がいたんだっけか? こりゃどうすっかな……」
 その頃、未だにシンは新たな行動を起こす事もせずにただ突っ立ったままとなっていた。
 そしてそれからも暇そうに刀の峰で肩を叩きつつ、これからどうするかをずっと考え込んでいる。
「ん? あれ、は……」
 だがそのすぐ後、ふと前方を見つめたまま驚くような声を上げていく。
 見ると砂煙を掻き分けるようにして、前方から真っ直ぐに走ってきているのはサクである。
 さらにその隣には木龍の姿も確認出来て、両者は今もシンの方に向かってきているのが分かった。
「……」
 対するシンはそれを見つめつつ、何故かあまり驚いた様子はない。
 龍の姿を目にしつつも不思議と冷静さを保ったまま、次に肩にかけていた刀をゆっくりと下ろしていった。
「へへっ。何だ、随分と活きの良いのがいるじゃねぇか。よっし、いちいち考えんのは面倒だ。向かってくる奴から片付けていけばいいか」
 続けてそう言うとおもむろに口の辺りを歪め、迷いなく後ろへと退いていく。
 それは一見すると追い立てられて逃げるような行動ではあったが、単純な撤退だとは思えなかった。
 何故ならシンの態度にはなおも余裕があり、走る速度もどう見ても手を抜いているからである。
 さらにシンはそれからも時々後ろに振り返りつつ、サクがついてきているのを確認しながら走り続けていく。
 少し距離が開いたなら自分の走る速度を調整し、それからもサクとの距離を一定に保ち続けていった。
 それはまるで相手を仲間から引き離すため、わざと見つかったままどこかに誘き寄せようとしているかのようである。
 一方のサクはそれに気付いていないのか、シンの後を追ってそれからも懸命に足を動かし続けていく。
 しかしそのせいでロウ達のいた場所からはどんどんと離れ、すでに山の奥深くまで入り込みつつあった。

「おーい! サク、どこにいるんだ!」
 丁度その頃、ロウは風が強まってきた山の中で大きな声を響かせていた。 その顔には焦りが浮かび、姿の見えないサクを心配しているのが分かる。
「サク君、無事なら返事してください! もしもいつもみたいにふざけているのなら、本当に怒っちゃいますよ!」
 同様にセンカも懸命にサクを探していたが、依然としてその姿はどこにも見つからないままとなっていた。
「全く、あいつは……。少し目を離すと、すぐにいなくなるな。普段どんな考えをして生きているんだ……」
 捜索には不本意そうなトウセイも参加していたが、やはり成果を上げる事はない。
 当人はその苛つきをぶつけるかのように、足元に転がったままの木を上から強く蹴りつけていった。
「ふぅ……。駄目だ、こっちにはいないな。そっちはどうだった?」
 するとその音に反応するようにロウがやって来たが、トウセイの態度が変わる事はない。
「いや、念のために木の下も探してみたがどこにもいない。どうやら木の下敷きになったわけではないらしい。俺の本と違ってな……」
 それから目線を落としていくと、大木の下の方には無残な姿となった本が落ちていた。 トウセイはそれを眺めつつ、疲れたように息を吐いている。
「す、すみません。トウセイさん。私のせいで……」
 すると直後に現れたセンカは申し訳なさそうに呟き、その身を縮こまらせている。
「お前が気にする事はない。元はと言えばここに行こうと言ったサクが悪いんだ。だから文句なら嫌と言う程、あいつに言いつけてやるさ……」
 対するトウセイは怒るつもりなどまるでないのか、小さく首を横に振るだけだった。
 代わりにその手には強い力が込められ、特定の誰かにぶつけるために溜め込んでいるように見える。
「ふふ、だったら急いでサクを探さないとな」
 それを見るとロウはわずかに微笑み、また捜索を開始しようと視線を動かしていく。
「でも、サク君は一体どこに行ったのでしょう。まさか、また危険な事に関わっているのでは……。さっき木を倒した力の正体も気になりますし……」
 だが直後にそう言ったセンカの顔は曇ったままで、妙にびくついているようにも見える。 その視線も右往左往として、また襲撃を受けないか気にかけているようだった。
「うーん、そうだな。まだ分からない事だらけだけど、とにかくサクを探そう。一人にしたままじゃ、何をしでかすか分からないしな」
 ロウにそれに同意するように頷きつつも、すでに足は動き始めている。
「は、はい……。せめてこの辺りに土地勘でもあれば良かったのですが、贅沢は言えないですよね……」
 センカもそれを見るとまだ不安そうだったが、意を決するように歩き出す。
 そして二人はそれから、見落としがないように目を凝らしながらサクを探していった。
「ちっ、はぁ……。全く、いつもいつも手間をかけさせてくれる。だがまさかこれ以上、面倒な事にはなっていないだろうな……」
 一方でトウセイも深い溜息をつきつつ、後を追うように歩き出していく。
 ロウ達が去った後には誰の気配もなくなるが、風だけは絶えず吹き続けている。
 それはやがて山全体を揺らすまでになり、まるで何らかの意思がその存在を誇示しているかのようだった。

「ねぇ、木龍……。それにしたってさ、どうして彼と戦わなくちゃいけないの?」
 ほぼ時を同じくして、サクは背の高い木々の間を駆け抜けている所だった。
 その前方には今もシンがおり、その距離は先程からほとんど変わっていない。
 しかし今のサクは頭の中に渦巻く疑問の方が気になり、そのせいでそれ以上は速度を上げる事が難しくなっているようだった。
「サク、お前がこの山に来たそもそもの目的は風龍だったな。ならばもう、ある程度の察しがついているのではないか」
 すると木龍は前方を見つめたまま、やや目を伏せたまま話し出す。
 勢いよく吹き付ける風も実体がない状態では意味を持たないが、それでも木龍は風に対して少し鬱陶しそうにしていた。
「あの風……。あれはほぼ間違いなく風龍の力だろう」
 その視線はシンの後ろ姿へと向けられ、その瞳にはシンの体の各所に光る白い紋様がしっかりと映り込んでいる。
「……!」
 一方でサクは龍という言葉を聞いた瞬間、目を見開いて驚いていく。 木龍の指摘通りに予想はしていても、やはり言葉として突き付けられると強い衝撃を受けるのかもしれない。
 そのせいでサクの走る速度は自然と緩まり、すでに歩くのとほとんど変わらなくなっていた。
「風龍……。奴は語るより早く先に力を振るう。そして火龍と同じく、人を憎んでいる。言葉ではどうにもならん。恐らく戦いは避けられないだろう」
 対照的に木龍はさらに表情を引き締め、険しい目付きで前を見つめ続けている。
 その頃にはシンとの距離も大分開き、前方ではシンがこちらを向きながら走る速度を抑えていた。
 そしてサクの様子を慎重に窺いつつ、攻撃されたならすぐに反撃出来るように刀をしっかりと握り込んでいる。
「……」
 ただし今のサクはなおも驚きに包まれ、隙だらけな状態のままだった。 その目は木龍の事をじっと見つめ、足もすでに止まってしまっている。
「それに……。そろそろ時期なのかもしれん」
 次に木龍はそう言ったかと思うと、目を細めながらサクを見返していく。 その胸中には複雑な感情が渦巻いているのか、その様子はいつもと違っているようだった。
「時期?」
 対するサクは同化しているために、木龍の不明瞭な気持ちが直に伝わってくるのかもしれない。 何となく不安そうな表情を浮かべつつ、顔を傾げて聞き返す。
 その周囲では今も大きな音を立てながら風が吹き荒れ、サクの髪や服なども派手に揺らされ続けていた。
 一方で少し離れた位置にいるシンもサクが立ち止まったのを見ると、あちらも走るのを止めてその場に留まっていく。
 そして急に動きを止めたサクの方を訝しむように見つめ、何かの罠であるのかと警戒しているようだった。
「そうだ。言わば、これは試練のようなもの。それも、お前が龍になるためのな……」
「試練。それさえ突破出来れば僕も……。龍になれるんだね……!」
 そんな時に木龍は真剣な様子で頷き、やがて答えるサクも真剣さを一気に増していく。 当人が握る拳には強い力が込められ、その表情にはいつになくやる気がみなぎっているのが分かった。
 どうやらサクはここに来て、やっとちゃんと行動を起こすつもりになったらしい。
「あぁ。我の力、その全てを引き出して奴に勝ってみせろ。その時こそは……」
 木龍もそれに気付くと淡々とした話し方をしつつも、鼓舞するように言葉を投げかけていく。
「僕はもう、これまでの僕ではなくなっているって事か……」
 それに応じるサクの視線はすでに前方を向き、その先で待ち構えるシンを睨み付けるように眺めていった。
 対するシンはこちらを見下ろして不敵な笑みを浮かべ、かなりの自信があるのが遠目でも分かる。
「あぁ、その資格は得られる。だが、逆に出来なければお前は龍になれない。何も変わらぬ、人としての形を保つだけだ」
 木龍も堂々とした相手の姿を見つめつつ、改めて釘を刺すような言葉を口にしていった。
「……」
 一方でサクは特に何も言い返さず、緊張した面持ちを保っている。
 だがそれでも、これから自分が取ろうとする行動には一切の迷いも見せはしない。 直後には体を前のめりにするように動かし、提示された試練の方へと歩き始めていく。
 その先ではなおもシンが待ち受け、こちらも余裕を保ったままサクを見下ろしていた。 悠然とした立ち姿からは、どこか人並み外れた不思議な雰囲気も感じられる。
 そんな二人の周囲では今も風が勢いを増しながら舞い、混ざり合いながら激しい音を響かせつつあった。


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