「これが本当の龍……」
サクはそう呟きながら、畏敬の感情を込めて見上げていく。
「何なんだ、この威圧感は……。違う……。合成龍や今までに見てきた、どの龍とも何かが違う……」
しかし少し後方にいるトウセイは対照的に体を強張らせ、明らかに恐れの感情を抱いているようだった。
体には冷汗をかき、眼前の光景を凝視し続けている。
「そうだ。人と同化しただけの不完全な存在でもなく……。魂という精神体でもない、全ての生物の頂点。完全なる生命体、龍だ!」
風龍はその呟きに応じるかのように、口を悠然と開いていく。
やがて最後にそう叫ぶと、辺りには強く風と音が響き渡っていった。
それは肉体を取り戻した、本当の龍の咆哮である。
聞いた者の動きは思わず止まり、戦意は一気に失われてしまう。
龍人や合成龍の咆哮はあくまで体が竦む程度であったが、これは全くの別物だった。
体の奥底から恐怖という感情を呼び起こし、呼吸すら止めてしまいそうだった。
「くっ……」
「う、あぁぁ……」
まさしく格の違う迫力に負けたのか、サクやトウセイは唖然としている。
さらに風龍の方から激しく吹き付ける風に押されるかのように、自然と体は後ろへと下がっていった。
「俺様は風龍。風を操り、空を制する」
風龍はさらに辺りを尊大に俯瞰しながら、大きく翼を広げる。
両翼が動いた瞬間に空気は震え、辺りには衝撃が伝わっていく。
続けて両翼を力強くはばたかせると、勢いよく跳び上がっていった。
突風を周囲に吹き付けながら、巨体は軽々と宙に浮かんでいく。
「天をも切り裂くこの翼を恐れねぇなら、かかってきやがれ!」
そしてご満悦といった表情を浮かべながら、強く言い放つ。
地面から自分を見上げる全てを見下ろしているからか、かなり機嫌が良さそうに見えた。
「かなりの自信家だね……。まぁ、確かに凄いんだけれど」
「あぁ。だが、やるしかないのだろう」
一方で地上に釘付けになっている二人は、それぞれ感想を述べている。
ただし一切の余裕はなく、トウセイなどは焦るように刀に手を伸ばしてさえいた。
「すでに退路など存在しないのだからな……!」
そして次に躊躇なく刀を抜き払うと、いきなり上に向けて赤い線を放っていく。
「初めからそのつもりさ……!」
サクも続いていこうと紋様を光らせると、地面からは勢いよく木が生えてきた。
複数の場所から尋常でない速度で伸び続ける木々は、そのどれもが風龍へ向かって伸びていく。
だが倒そうとして放ったどちらの力も、有効な一撃とはなり得ない。
いやそれ以前に、相手に届く事すらなかった。
「くはっはっはっはぁっ! 雑魚共がっ!」
笑う風龍へと攻撃が至るより早く、両者の間の空間には強い風が吹き荒れていく。
間違いなくそれは風龍が生み出したものであり、一気に風の壁とでも呼べるものを形成していった。
赤い線や木はそれに触れるだけで砕けるか、あるいはかき消されてしまう。
「あぁ? これっぽっちかよ、つまらねぇ……」
あまりにも呆気ないとでも思ったのか、風龍はそう呟いていた。
「へー、そう思う? そんなのさ……。少し早合点が過ぎるんじゃないかな……!」
しかしサクは即座に言い返すと緑色の紋様を光らせ、また風の壁に向けて木を伸ばしていく。
ただし先程と何ら変わらない行動は、やはり風の壁に阻まれて意味を成さない。
それでも先程と違うのは、木が途切れない事だった。
いくら障害に阻まれようとも、生み出される木は延々と伸び続けていく。
「ん……?」
異様な様を見ると、風龍も少しおかしい事になっていると気付いたようだった。
視線の先では、相変わらず木の勢いが止まらない。
それによって風の壁はわずかに押され、鉄壁の防御にも綻びが生じつつあった。
さらにサクは渾身の力を振り絞って紋様を制御し、さらに風に立ち向かい続けていく。
「トウセイ!」
そして顔を勢いよく後ろに向けると、懸命に何かを伝えようとしていた。
丁度その瞬間、計ったかのように風の壁に大きな異変が訪れる。
絶えない木の勢いはついに壁を突き破り、少し小さいが風龍まで続く穴を穿つ。
「あぁ……!」
それを見たトウセイは意図を理解し、すぐに刀を振るう。
すでに肩から手の辺りにかけて紋様も輝き、刀からは赤い線が放たれていく。
いつもなら刃の形をしている線も、今回は縦に長くなって向かっている。
「ちっ……」
風龍は自らに向かってくる赤い線を前にし、顔を歪めていた。
だがあくまで面倒くらいにしか思っていないのか、攻撃を避けたり防御する素振りさえ見せない。
やがて赤い線は小さな穴に合わせて細やかに形を変え、風龍の元に辿り着いた。
その瞬間に大爆発が引き起こされ、周囲には大量の火が散らされていく。
後には煙が舞い踊り、すぐには結果が分からないのがもどかしいくらいだった。
「どうだ、参ったか!」
それでもサクはかなり自信があるのか、拳を握りながら明るい顔をしている。
「ふん、くだらねぇな……」
だがわずかに生まれた希望を打ち砕くかのように、風龍が健在な姿を現す。
体には火による傷などは全く見られず、どこにも影響がないようだった。
鱗はもちろん、体自体もかなり堅固な作りをしているらしい。
どんな攻撃だろうと弾き返し、並大抵の力では掠り傷すらつけられないように見える。
顔をしかめてはいるがそれは痛みからではなく、相手の力不足に対するもののようだった。
実際に全く動じていない様子からは、先程の攻撃など全く意に介していないのがはっきりと伝わってくる。
「所詮は中途半端な同化と、不完全に組み合わさった紋様か」
そしてもう用を成さなくなった風の壁を収めると、欠伸でもするかのように口を大きく開けていく。
「あ、あぁ……」
サクは自信を喪失したのか体から力が抜け、自然とその場にへたり込んでいった。
トウセイも動揺しているのか動きが止まり、ただ見上げる状態に留まっている。
「あんなもんさっさと片付けて、手早く仕舞いにするかっ……」
風龍はそれら全てを見下ろしながら、一気に風の力を高めていく。
すると口の前には風が急速に集まりながら、球のような形になっていった。
「あれはやばそうだ……!」
「止めよう!」
それを見たトウセイとサクは、受けた衝撃より危機感の方が勝ったようだった。
二人は示し合わせるより早く、同時に行動を起こしていく。
そして風の弾に集中して攻撃を加えていくが、直後には先程も現れた風の壁が突然現れる。
それは二人の攻撃を次々と阻み、目論見はあえなく失敗してしまった。
「はっはっはっはぁっ……! その程度の力で何を粘るつもりだっ!」
風龍は二人が苦戦するのを笑いながら眺めていたが、そう言うと口を閉じていく。
すでに風の玉は完成していたのか、回転を続けながら顔の前で安定している。
「目障りだからとっとと消えろ、地上を這うしか能のない屑がっ……!」
そして十分な大きさになった風の玉を、覇気と共に撃ち出していった。
風が圧縮されたかのような玉は、地上に向けて凄まじい音と圧迫感を伴って襲い掛かってくる。
サクやトウセイはすぐに避ける体勢に入るが、それは間に合わなかった。
玉はすぐ側の地面に激突し、内部に閉じ込められていた風が一気に開放されていく。
それは暴風となって辺りを駆け巡り、周囲に甚大な影響をもたらしていった。
「ぐはっ……!」
真っ先にトウセイは吹き飛ばされ、近くにあった木に背中をしたたかに打ちつける。
「大丈夫、トウセイ……!?」
サクは何とか直前に木を生やして防壁を作っていたようで、何とか後ろで耐えていた。
しかし暴風は間近で今も吹き荒れており、風の刃もいくつか混じっているようだった。
そのせいで防壁は徐々に蝕まれ、うかつに顔を出す事も出来ずにいる。
「あぁ……。ごほっ、ごほっ……」
一方でトウセイは咳き込みながらも何とか体を起こすと、自分がぶつかった木の後ろに隠れていく。
「何だ、この違和感は……? あの時とは違う……」
危機的な状況ながら、何故か自分の紋様を見つめると不思議そうに呟いていた。
先程から一応は力が使えているが、火龍を倒した時はもっと凄まじい力が出ていたはずである。
だが今はその何分の一も扱えていない事に対し、深い疑問を抱いているようだった。
しかし今は考えている暇などなく、二人は暴風が自然に収まるのをじっと待とうとする。
「馬鹿め、これで終わりだと思うなよ」
ただそのような考えなど、風龍にはとっくにお見通しのようだった。
不敵に笑う呟きの通りに、暴風は決して終わるような事はなかった。
「ははははぁっ! 見やがれぇ! この激烈にして、優美な風を!」
次に風龍は天を見上げながら、自慢げに叫んでいく。
眼下のトウセイ達がそれを聞いていると、周囲では新たな変化が起こり始めていった。
風の玉が開放された地点は大きく削られ、尋常ではない衝撃の強さが窺えている。
そして地形が変化すらした地点を中心にするようにして、風が渦巻きながら集まっていった。
「ひゃはっはっはっはぁっ!」
局所的な嵐は風龍の高笑いと共に、どんどん勢力を増していく。
「まずいよ、これ……!」
サクは激変する周りの環境に対し、うろたえた様子で右往左往している。
今はまだ木の防壁によって守られていても、絶対に安定という訳ではない。
そして悪い予感はいとも早く、しかも確実に的中してしまった。
木の防壁には勢いを増した風の刃に加え、吹き飛ばされてきた石や木の破片などが叩き付けられていく。
とっさに作ったために脆い部分のある防壁には、わずかずつだがひびが入っていった。
「どうしよう、トウセイ……!」
サクはそれを見つけるとすぐに補修しつつ、そう叫んでいく。
「ちっ……。馬鹿げているな、あの力は……。せめて火龍を倒した時のような力が使えれば……」
トウセイも今にも倒れそうな程に揺れている木に身を寄せながら、顔をしかめてそう言った。
すると二人の懸念や心配を見透かしたかのように、さらに風は強く吹き荒れていく。
風の刃をも含む嵐は周りの木や土を削りながら、止まる気配などまるで見せなかった。
そしてそれからすぐに、木の防壁に向かって大きな風の刃が命中していく。
今までに入っていたひびはその時点で亀裂となり、今にも崩壊しそうな程にまで深くなっていった。
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