第9話 水


 そんな時、暇を持て余したトウセイは少し離れた場所で単独行動を取っていた。
 そこはロウ達が雨宿りをしている場所のすぐ隣にある、小さな建物の中である。
 見渡す辺りにはいくつも棚が並んでおり、そのどれにも本が所狭しと敷き詰められていた。
 どうやらそこは貸本屋のようであり、トウセイは物珍しそうに本の背表紙を眺めながら店の中を進んでいく。
 そして次に目に付いた無造作に置かれている絵巻物や、棚の中にある書物などを手に取っていった。
「これと、それにこれも……。どこを見ても必ずと言っていい程に龍が描かれている。そして、人の姿も……」
 トウセイはそれからざっと書物を流し読んでいくと、それには龍についての詳細な記述がなされている。
 さらに絵巻物に目を向けると、そこには墨によって生き生きとした龍が描かれていた。
 加えて龍の側には人の暮らす場面も共に描かれ、どの書物や絵にも荒々しい場面など存在しない。
「どうやらここにあるものは、どれも古い書物ばかりのようだな。そしてどれも内容は大体一緒だ。もしや昔は、人と龍の関係は今と違って良好だったのか?」
 その後も平和な情景だけが目に入り、そこでは人は常に龍を崇めている。 一方で龍は人に干渉せず、互いに憎しみ合う事もどちらかを傷つけようとする場面もまるで見られなかった。
「確か聞いた話では、光龍は出会った当初は人と険悪な関係だったらしいが……。木龍もサク以外の人間には、ほとんど関心を示そうとしていない……」
 トウセイはこれまで自分の見てきたものや、体験してきたものとはまるで違う関係を前に戸惑ってしまっている。
「土龍や火龍、それに闇龍などは明確に人と敵対していると言える。うぅむ、これはどういう事なのだ? 頭がこんがらがってきてしまった……」
 そして頭に手をやって顔をしかめたかと思うと、静かに絵巻物などを閉じていく。
「龍とはそもそも、どのような存在なのだ? 神の如き力をもつ超常的な存在であり……。人に恵みを与える事もあれば、何もかもを奪う事もある」
 さらに本棚の元の場所へ書物を戻すと、じっと考え込みながら貸本屋を後にしていった。
「そしてこれから俺達が先に進む中で、必ずまたぶつかる存在でもある。だが果たして、このままでいいのか。本当に龍とは、戦うしか道はないのだろうか……?」
 やがて軒先に出たかと思うと顔を俯かせ、雨音より小さな呟きを口にしていく。
 視線の先では勢いのある雨によって水溜りが出来ており、そこにいくつも雨粒が打ちつけられていった。 水溜りに雨粒が落ちる度、トウセイの姿が映り込んでそこには波紋が浮かぶ。
 雨が降り続ける間はずっと続くそれを眺めながら、トウセイの悩みはいつまでも尽きないようだった。
 だがいくら考えた所で、明確な答えが出る訳でもない。
 空からは相変わらず雨が降り注ぎ、一向に弱まる気配のない雨音を響かせていた。
 さらにそれは地面にぶつかる度に大きな音を出し、トウセイの呟きをもかき消していく。
 それと時を同じくした頃、すぐ近くにいるロウ達も同じようにまだ雨宿りから解放されずにいる。
 まだまだこの状況は長引きそうで、誰もがいつ止むとも知れない雨の事を考えながら空を見上げていた。

「ん?」
 そしていい加減に雨宿りにも辟易とし始めていた頃、ロウは特に意図せずに顔を下げていく。
 するとその時、いつの間にか少し前方に人の姿がある事に気付いた。
 辺りは夜のように暗い視界に加え、その人物は降り続ける雨の向こうにいる。
 そのために最初は輪郭さえよく見えなかったが、目を凝らして見るとそこには一人の女の子がいた。
 確か少し前までは誰もいなかったはずであり、いつ女の子がその場に現れたのかは分からない。
 しかし女の子は決して幻などではなく、現実としてそこにしっかりと存在している。
「……」
 その女の子は質の良い服に身を包み、自分に差している傘以外に脇にもう一つの傘を抱えていた。
 丁寧に切り揃えられた髪に加え、無表情な顔と身じろぎもしない姿はまるで生きた人形のようだった。
 さらに何かロウ達に用でもあるのか、ずっとこちらを見続けている。 ただし決して向こうから声をかけてくる事はなく、そこには規則的な雨音だけが響いていた。
「どうしたんだ、あの子?」
 一方で目を細めて女の子を注意深く眺めるロウは、怪訝そうな顔で前へと出ていこうとする。
「……!」
 対する女の子は自分が見られている事を感じ取ったのか、今までぴくりともしなかった体を大きくびくつかせた。
 それでもすぐに平静を取り戻したかと思うと、直後には右手を少し上げていく。 そしてそのままそれをわずかに上下させ、手招きをするかのように何度も繰り返していった。
「何だろう、ちょっと行ってくる」
 ロウはそれを見ながらなおも怪訝そうな顔をしていたが、手招きにつられるかのようにふと前方へと動き出していく。
「え、ロウさん……?」
「ん、なぁに? どうかした?」
 そしてその声と水溜りを蹴っていく音を聞き、センカ達もようやく女の子の存在に気付いたようだった。

「えっと……。や、やぁ……。君、俺達に何か用でもあるのかい?」
 それからロウはすぐに女の子の元まで容易に辿りつけはしたが、そこから先がうまくいっていない。
 何しろ相手はいくら話しかけようと無表情と無言を貫いており、眼前にいるロウを完全に無視しているかのようですらあった。
 ただし全く反応していない訳でもなく、何者をも映し込むような澄んだ瞳でやや不思議そうにロウの事をじっと見上げている。
「う、うーん。せめて何か答えてくれないかな。それとも、単に俺の勘違いだったりするのか……?」
 だがロウからすればひたすら戸惑うしかなく、たじたじとしたままこれからどうすればいいのか戸惑っていた。
「ん……。これ……」
 ただしそれから女の子は唐突に脇に抱えていた傘を取ると、それをこちらに手渡してくる。 口から漏れた声は本当に小さく、雨音にほとんどかき消されそうだった。
「え? あ、あぁ。ありがとう……」
 対するロウはいきなりの行動に面喰いながらも、受取りながら思わず礼を述べていく。
「それと、これもどうぞ……」
 さらに女の子は自分が雨を避けるために差していた傘を畳むと、柄の方を丁寧にこちらに向けてくる。
「いや、でも……」
 とは言えそれを受け取ると女の子が雨に濡れてしまうのは明らかで、ロウは受け取るのには注意してしまう。
「あと、私についてきてください……」
 しかし女の子は押し付けるように傘を手渡すと、すぐにそう言って振り返って雨をものともせずに歩き出していった。
 その体は傘がなくなったために、降り続く雨によって濡れ放題となっている。 それでも歩みが止まる事は決してなく、雨はもちろんの事だが自分の体の事すら気にしていないかのようだった。
「え、どういう事だ? あ、もう……。うーんと……。ち、ちょっと待っていてくれよ!」
 一方で置いていかれたロウは女の子の不可解な行動に驚いていたが、すぐに後ろ姿に向けて大きな声をかけていく。
 すると女の子も声は聞こえているのか、その場にぴたっと立ち止まっていった。
「おーい、みんな! こっちに来てくれないか?」
 それからロウはすぐに後ろに振り向くと、傘を持ち上げながらそう叫んでいく。
 少し離れた位置から様子を窺っていた他の三人も、その声を聞くと雨の降る中を駆け出していった。
「ほら、傘をこの子に借りたんだ。これは皆で使ってくれよ」
 そしてロウは三人にそう言うと、女の子から受け取った傘の内の一つを手渡していく。
「えー、僕達三人で一つ? 無理だよ、入れっこないってばー」
 それを受け取ったのはサクだったが、雨に濡れながら不満そうな顔で呟いていた。
 同じような事はトウセイも感じていたようで、何も言わないがわずかに難しい顔をしている。
 やはり傘一つに三人は厳しそうだと思うのは、その場にいる誰もが感じているらしい。
「もう、文句なんていけませんよ。傘があるだけ有難いじゃないですか。で、でもしょうがないですね。入り切らないなら、私がロウさんと一緒の傘に……」
 だからこそセンカはそう言いながら、前へ歩み寄ってくる。 少し恥ずかしそうな顔は、ロウの持つもう一つの傘をじっと見つめていた。
「いや、それはちょっと無理だな。この傘には先客がいるんだ」
 だがロウは明るい顔で首を横に振ると、すぐに振り返って駆け出していく。
「え……?」
 対するセンカはその答えを予期していなかったのか、驚いた表情のまま固まってしまった。
 それからロウが走っていった先にはずっと立ち続けたまま、頭から足までびしょ濡れになっていた女の子がいる。
「あー、トウセイったらずるい! 僕に傘を持たせてよー」
「お前に持たせたら、わざわざ屈んで歩かねばならんだろうが……!」
 片やサクとトウセイは傘を奪い合うようにしながら広げ、そのすぐ側ではセンカがロウがどうするのかをまだ怪訝そうに見つめていた。

「ぇ……?」
 それからほぼ時を置かず、女の子は不思議そうな顔をゆっくりと上向けていく。
 その理由として何故か少し前から、それまで頻繁に当たっていた雨粒が全く当たらなくなっていたのである。
「なぁ、そのままじゃ風邪引くぞ?」
 やがて見上げた視線が向かう先には、傘を差しながら優しく微笑みかけてくるロウの姿があった。
「ぁ……。っ……」
 ただし女の子の方は戸惑うような顔を浮かべ、口をもごもごとさせるだけである。
「あ、うぅ……」
 どうやら礼か何かを述べるつもりはあるようだが、それから結局は何も言えずに恥ずかしそうに俯いていくだけだった。
「……」
 それから女の子は雑念を振り払うように頭を揺らすと、前へと向き直る。 そしてまた無表情になると、そのまま静かに歩き出していった。
 女の子はあまり他者と接するのが得意ではなく、一つの事に集中したらそれ以外はうまくこなせないらしい。 まだ出会ってからわずかな間しか接していないが、そのような不器用な面が見て取れる。
「ははっ。何だか、誰かさんとそっくりだな……」
 ロウはその姿を見下ろしながら思い出すように笑うと、その後をついて歩き出す。
 その手にはしっかりと傘が握られ、自分を含めて女の子も濡らさないように注意が払われている。
 さらにやや距離を置いた後からはかなり窮屈そうだが、一つの傘に収まりながら何とか進もうとしているセンカ達の姿もあった。
 こうして雨に包まれた町の中で立ち止まっていたロウ達は、突如として不思議な印象のする女の子との出会いを果たす。
 彼女が導き、連れていこうとする先に果たして何が待ち受けているのか。 それを知ろうといくら目を凝らそうと、前方はもちろん全方位が雨によって視界が悪くなっている。
 ロウ達はそんな見通しを立てる事すら難しい中、寡黙に進み続ける女の子の後を追うようにして歩き続けていった。


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