第8話 火


「……そうやって俺に押し付けるのか」
 だがトウセイはどんな思いを向けられようと、顔を背けて無感情に拒絶するだけである。
 纏う雰囲気はどこまでも険しく、これまでに見た事もないくらい気持ちが沈んでいるようだった。
「違うよ。僕はただ……。ロウの思いを無駄にしてほしくなくて。それにトウセイに後悔もしてほしくないから……。ただ、それだけで……」
 するとサクは萎縮したように動きを止め、顔を俯かせながら今にも泣き出しそうになってしまう。
「俺は後悔などしない。ロウとも違う。俺は、俺の道を行くだけだ」
 対するトウセイはもうそちらを見る事もなく、不意にどこかへ行こうと歩き出していく。
「トウセイ……!」
「お前は戻っていろ」
 サクはそれに気付くと呼び止めようとするが、応じるトウセイの声はあくまで冷たい。
 冷徹ともいえる横顔を見ると、強く抱いた決心を変えるつもりは絶対にないように思える。
 さらに大切な人を思う気持ちなど置き去りにするかのように歩き出すと、以降は立ち止まる事もなくどんどん遠ざかっていった。
「……」
 サクはそれを見送りかけていたが、やがてその体は後を追うように動き出していく。
 ただしその動きは夢遊病のようにふらついて頼りなく、トウセイのように確固たる思いなどないのかもしれない。
「止めろ」
 そのためにそれまで様子を窺っていた木龍も、直後に厳しさを伴った声をかけていく。
「でも……!」
 それを聞いたサクは足を止め、振り向くと同時に抗議の声を上げていった。
「奴には奴の事情というものがある。お前も龍になるという目的について、誰にも邪魔されたくはないだろう。それと、同じ事だ……」
 対する木龍は不満な声を受け流し、諭すように言葉を投げかけていく。 目を閉じながら話す様は、これだけ言えば分かるだろうとでも言いたげだった。
「……」
 サクはそれに言い返す事もなく、口をつぐんで黙り込んでいる。 ただし悔しそうな顔を見ると、到底納得はしていないようだった。
「ばか……。本当に、ばかなんだから……」
 だからこそサクはさらに顔を俯かせた後、少し体を震わせながら小さな呟きを発していく。
 その声は一時期よりかなり静けさを増した空間内によく響き、取り残されたサクの悲壮さを際立たせているかのようだった。
「お前に言われなくてもそんな事、分かっている。俺は……」
 そしてそれは離れた位置にいるトウセイの耳に届いていたのか、直後には答えるように呟いていく。 伏せられた目や暗い表情などを見ると、サクとの出会いによってわずかでも迷いが生まれたのかもしれない。
 それからやや歩く速度を鈍らせると、疲れたように溜息をついてから辺りを見回していった。
 すると前方に動く者の姿が見て取れ、次にそこになにがあるのか目を凝らしていく。
 そこにいたのは床に座り込んだ状態のまま、周りをぼんやりと眺めているリヤの姿だった。
 まだ意識がはっきりとしていないのか、その目は虚ろで顔にも覇気がない。 その印象はこれまでの自信に満ちた姿とは正反対で、随分と弱々しくなっているように見えた。
「……」
 トウセイはその姿をじっと見つめた後、音を立てぬように静かに刀を抜き放つ。
 さらにリヤが向こうを向いている間を見計らい、足音を立てぬようにして忍び寄っていった。
「そうか、僕は……。火龍と同化していたんだっけ」
 するとリヤはその直後、ふと思い出したように呟く。 まるで夢を見ているかのように穏やかな表情は、つい先程までとは別人のようだった。
 トウセイはそんなリヤの元に接近し、やがて間合いに入った所で音もなく刀を振り被っていく。
 その間も眼下を注意深く見つめていたが、リヤはトウセイの存在にすら気付いていないらしい。
 特に身構える事もしていない体は隙だらけで、このまま刀を振り下ろせば確実に命を断ち切る事が出来るはずだった。
「っ……。はぁっ、はぁっ……」
 しかしトウセイは迷うような表情を浮かべたまま、時が止まったかのように動かなくなっているだけである。
 いくら懸命に力を込めようと刀は一向に動かず、わずかに外套をはためかせるのが精々だった。
 つい少し前まで頑なに変えようとしなかった決意でさえも、リヤを前にして儚く消え去っている。
 例え本人に自覚はなくともその心中には、兄を手にかけたくないという強い思いが刻み込まれているのかもしれなかった。
「くっ……!?」
 それでもあくまでトウセイは止めようとはせず、なおも体を動かそうと奮闘している。
 だがいくらやろうと無駄であり、ままならない自分の体に困惑するばかりだった。
「まだかい?」
 そんな時、リヤは悪戦苦闘するトウセイを慮るように口を開く。 その声はどことなく気楽そうで、横顔は不思議と落ち着いているように見える。
「なっ……!? に、兄さん……」
 対するトウセイは予期せぬ事に動揺し、体勢を崩しながら後ろへふらついていった。
 そしてそのままリヤを注意深く見つめていくが、当人はこちらに気付いていても逃げ出す様子はない。
 まして反撃してくる素振りすらなく、今もずっとその場に座り込んでいる。
 それを見ていると何とも言えず、驚きに包まれたままじっと立ち尽くしているしかなかった。
「少しずつだけれど、思い出してきたよ。自分が何をしてきたのか、霧が晴れていくみたいに記憶が鮮明に蘇ってきた」
 一方でリヤは次に顔を上げると、すっきりと澄んだ瞳で遠くを眺めていく。
 窓の辺りでは暖かな日差しが舞い上がった粉塵に反射し、きらきらと綺麗に輝いていた。
「僕は許されない事をしてきた。いくつも、いくつも。裁く者はいなくとも、罰は受けないといけない。そしてそれは……。お前の手でやってほしいんだ」
 リヤは清浄な雰囲気に満ちたそれらを眺めながら呟き、やがてゆっくりと顔をこちらに向けてくる。
「兄、さん……」
 しかしトウセイは悲痛な表情を浮かべるだけで、まともに答えを返す事も出来ない。 その手にはかろうじて刀を持っていても、使う事は出来ずにいつまでも迷ったままだった。
「でも最後にもう一度、お前に会えて良かった。……嬉しかったよ、トウセイ」
 それとは対照的にリヤはすすけた顔ながら、何も気にする必要はないとでも言うかのように微笑んでいく。
 不思議と懐かしさを覚える笑みはトウセイのためだけに向けられたものであり、かつて幼い頃に幾度となく見たものでもあった。
 だからこそ例え今はその場におらずとも、あの懐かしい花びらの舞い散る場所が自然に脳裏に浮かぶ。
 そこにいるリヤは優しく吹きつける風を身に受けつつ、こちらを見つめながら本当に穏やかな微笑みを浮かべている。
 一方で現実にいるリヤはそれから姿勢を正すと、後の事を全て任せるように目を閉じて沙汰を待つ。
「まさか……。元に、戻ったのか? 兄、さん……。ぐっ、ぅぅっ……」
 トウセイはそれに気付くと現実に引き戻されるが、最後にあんな笑顔を見せられてはもうリヤを仕留める事など出来はしなかった。
 全身からは徐々に力が抜け、口からは抑え切れない感情が声となって自然と漏れていく。
「ト、トウセイ……。どうしたんだ……!?」
 やがてリヤは一向に断罪の刃が訪れないのを訝しみ、痺れを切らして目を薄っすらと開いていった。
 そして視線の先にあるものを見ると、思わず驚いたように声を上げていく。
「兄、さん……。俺には、やっぱり……」
 そこではトウセイが刀を床に突き刺し、膝をついた状態でひどく打ちひしがれていた。
 その顔は土壇場で決意を鈍らせた己を恥じているのか、かなり悔しそうにも見える。
「そうか。お前はそうだったね。相変わらず、肝心な所で甘いんだよな……」
 一方でリヤはその姿を見ると、ふと懐かしむように口元を緩めていく。
 ただしそうしたのは、自分の命が助かったのを喜んでいる訳ではないらしい。
 昔とほとんど変わらぬ弟の姿を見られたからこそ、少し悲しそうにも見える表情を浮かべていたようだった。
「兄さんだって変わっていないよ。自分の身を危険に晒してでも俺に力を貸してくれて……。やっぱり兄さんは、ずっと昔のままだよ。あの頃のままだ……」
 対するトウセイは顔を俯かせたまま、ゆっくりと手を伸ばすとリヤの肩を掴んでいく。
 それは気恥ずかしさを隠すための行動だったのかもしれないが、その口元は確かに嬉しそうに緩んでいる。
「……トウセイ」
 リヤの方もわざわざ覗き込まずとも表情を読み取れるのか、ただ優しい瞳でトウセイの事を見続けていた。
 結局トウセイは非情になり切れず、リヤの命を絶つ事を諦める事となる。
 しかしだからこそようやく本当の兄と再会し、その命を繋ぐ事が出来たのだった。
 例えその場所がどれだけ傷ついて壊れかけていても、そこにはずっと待ち望んでいた平穏な時間がある。
 そして数年の時を経て元に戻れた兄弟も、そこでようやくこれまでにすれ違っていた時間を取り戻す事が出来そうだった。
「あれ……? 急に、力が……」
 だが次の瞬間にはそれを引き裂くかのように、リヤの体にいきなり異変が訪れる。
 初めは眩暈を感じたかのように体をよろけさせ、その後には意識が勝手に薄れていった。
 そうなると体は一気に制御を失い、あっという間に床に向かって流れるように倒れ込んでいく。
「どうしたんだ、兄さん……! これ、は……」
 トウセイはそれを見ると慌てて手を伸ばし、何とか受け止める事に成功する。
 ただしその体はやけに軽く、いくら幼い外見のままだったとしても軽過ぎるように感じられた。
 それはまるで紙か羽でも持っているかのようで、トウセイはその事に困惑するように顔をしかめていく。
 しかし事態はそんなトウセイを置き去りにするように進行し、リヤの体調は加速度的に悪くなっていった。
「こほっ……。あぁ、そうか。火の紋様で無効化していた体の変化……。受けた傷や、緩やかになっていた老化。それらのつけを払う時がようやく、やって来たんだな……」
 それでも当の本人は落ち着いた様子で、小さく咳き込みながら呟いている。
 その体には大小様々な傷があちこちに出来て、さらには皮膚や髪の毛などにも微細な変化が起きていった。 特に腕の辺りにはどこか見覚えのある形の熱傷が現れ、症状の進行に従って衰弱も増していく。
 ただしリヤ自身は眠りに落ちる直前のように穏やかで、本当に緩やかに目を閉じていった。
 何故かその様を見ていると、先程に消えていった火龍の最後の姿が不思議と重なっていく。
「兄さん!」
 だがトウセイはそれを受け入れる事など到底出来ず、リヤの体を抱えたまま何度も呼びかける。
 その顔や態度はひどく焦っているが、どうすればいいのか分からないために心を乱すばかりだった。
「トウセイ……。不思議だな。今までで一番、こんなに近くにいるのに……。お前がほとんど見えない……。声が、聞こえにくい……」
 リヤはそれに一応は答えているが、その意識はまどろみの中に浸っている。
「駄目だ。まだ寝るなよ。俺、もっと話したい事があるんだ。兄さんに聞きたい事だってまだ、たくさん……」
 トウセイはそんなリヤを見ていられず、嘆くように声を絞り出しながら何とかリヤの意識を保とうとした。
 しかしリヤはそのまま目を開く事もなく、次第にその呼吸は弱まっていった。
「約束だってしたじゃないか。この国を強くするんだろう? 俺と、兄さん。二人で一緒に……。なぁ、そうだろ!」
 それでもトウセイはリヤを抱える腕に力を込め、反発するように声を張り上げていく。
 リヤの体はその時の衝撃で揺れ動いたが、その様は糸に操られた人形のように不自然である。
 そしてそれからもリヤが自律する事は決してなく、体から温もりを失いながらその鼓動を少しずつ止めていった。
「もうこれ以上、俺から家族を失わせないでくれよ。頼むから……。やっと会えたのに、これで終わりなんて……。許さないぞ。絶対に、許しはしないからな……」
 トウセイはそれからリヤの体をそっと床に安置させるが、悲痛な様子は変わらない。
 今の状況を絶対に受け入れないかのように強く呟いた後は、いつになく潤んだ瞳から一筋の涙さえ流していった。


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