「それは、そうだな……。僕もお前が心配だった。きっとただ、思う事はそれだけなんだ……」
リヤは不意の問いに数秒だけ考え込んだ後、微笑みながらそう答えていく。
依然として激しい火が二人を分かつように燃え盛っているが、リヤはそれを乗り越えながらまだ進もうとしていた。
それでもすでにトウセイに大半の紋様を渡してしまったため、防御に回す分の力が足りていないのかもしれない。
「トウセイ……。さぁ、さっき渡し切れなかった紋様も使うんだ」
だがリヤは火の熱に苦悶しつつも、何とかトウセイの元まで辿り着く。
そして着くなり開口一番にそう言って、真剣な様子でトウセイの事を見上げていった。
ただし当のトウセイはまだ浮かぬ顔のまま、兄の事をじっと見下ろしているだけである。
するとリヤは自分から手を差し出し、トウセイの手を取ると自らが持つ残りの紋様の全てを託そうとしていった。
「でも、今さらそんな事をしたって……。俺では龍には勝てないよ」
対するトウセイはそれを受け入れる気はありつつも、表情はずっと曇ったままである。
いくらリヤの紋様の力が加わったとしても、火龍の圧倒的な力の前では無意味に等しい。
しかも今リヤから紋様がなくなれば、荒れ狂う火から身を守る術がなくなってしまう。
そしてただでさえ具合が悪そうなのに、さらに体力を消耗させてしまう恐れもあった。
トウセイはそれらがどうしても気になるのか、力を受け取りながら心苦しそうに目を伏せている。
「全くその通りだ。死に損ないは引っ込んで……。いや、どうせなら俺が今すぐ引導を渡してやる!」
そんな時、今まで様子を窺っていた火龍がいきなりそう言うと改めて火を放ちにかかった。
直後に二人の元には先程までのように激しい火が降り注ぐが、今は何とかリヤのおかげで防げている。
「ぐっ……。本当に、そう思うのか……? お前は紋様と共に旅をし、幾多の戦いをくぐり抜けてきたのではないのかっ……!」
それからもリヤは横槍などまるで考慮する事なく、力の譲渡を続けながら話しかけていく。
例え今にも倒れそうな体でも、そこに宿るはっきりとした意思は健在らしい。
トウセイの目をじっと見つめる様は、これまでに自分の弟が辿ってきた道のりを知ろうとしているかのようだった。
「そもそも、ぐっ……。お前が僕に勝てたのは何故だ? 奇をてらった戦法が功を奏したからではない。お前の紋様の強さも、あったからだろう……?」
やがて自分から力が失われていく度、リヤはどんどん増す苦しみに顔を歪ませていく。
それでも語り掛ける事を決して止めようとせず、最後には目を細めながら励ますように微笑みかけていった。
その姿にはこれまで見られなかった、相手を信頼する気持ちに溢れている。
「俺の紋様が、強い……?」
「あぁ、強い。火龍と同化していたからか、僕は紋様について詳しくなれた。紋様の強さとは、決して量では測れない。紋様を真に強くするもの、それは……」
対するトウセイはまだ疑問を感じているようだったが、逆にリヤは確信を込めて頷いていく。
すでにその頃にはリヤの体から紋様はなくなり、それらは全てトウセイに無事に移ったようだった。
「ぐっ。お前なら、もうとっくに分かっているはずだっ……。あぁぁっ……」
その直後には激しい火がその身に押し寄せ、リヤは思わず前のめりに倒れ込みそうになる。
「兄、さん……!? しっかりするんだ……!」
トウセイはふらつく体を何とか受け止め、身を案じるように声をかけていく。
しかしリヤはすでに意識が朦朧としているのか、呼吸はしているが声は返ってこない。
「くっ、そんな事を言われても……。俺には……」
そんな姿を見るとどうにかせねばと思うが、今のトウセイは悔しそうに顔をしかめるだけだった。
もう自分の可能性すら信じられなくなっており、そのために兄が活路を見出した紋様も信じ切れないらしい。
「そうだよ、トウセイ。君は今までにいくつもの試練をその紋様と共に乗り越えてきた。そしてその度に、強い思いで紋様を使いこなしてきたじゃないか!」
だがサクはそうは思わないのか、離れた位置から懸命に声をかけ続ける。
思えば多くの危険を顧みずにサクはここまでやって来たが、これからも簡単に引き下がるつもりはないらしい。
「ごほっ……。だ、大丈夫……。僕が保証するから! だからそんな顔しないで、いつもみたいに格好良く戦ってよ……!」
それも全てはトウセイを信じているからこそであり、
まだその場に留まっていた。
そして苦しそうな顔をして咳を挟みながらも、それからも熱に浮かされたように声を上げ続けている。
「サク……」
トウセイはその存在に気付くと、驚いたように目を見開いていった。
「強い、思い……」
さらに自らの体に浮かぶ紋様を見つめていくと、火で荒れる場の中にあって神妙な顔で呟いていく。
ほんの少し前までは紋様を見ても、火龍との力の差に絶望するしかなかった。
しかし今はリヤとサク、二人の懸命な姿から大事なものを学んだような気がする。
まだ勝てる期待などはとても浮かんでこないが、それでも微かでも希望が生まれ始めているのかもしれない。
だからこそほんのわずかではあったが、小さな火が灯るように赤い紋様から光が放たれ始めていた。
「ぐっ……」
一方でリヤはわずかに意識を取り戻すが、すでに限界に達しつつあったらしい。
何とか体を動かそうとしても、本人の気持ちとは裏腹に気を失いそうになっている。
「兄さん、もういい。もういいから……」
「いや、よくない。お前を助けるのは僕の役目だ。兄の、役割だ。どこで終わり、などという事はない……」
トウセイはその姿を見ていられないようだが、リヤはなおも体に力を込めていく。
「何も出来ない無能な兄だったが……。せめて最後くらいは、お前を守っ……」
そして次に背を向けたかと思うと、自分の身を晒してもトウセイを守ろうとする。
トウセイの外套を前面に纏ってはいるが、それだけで火龍の攻撃が防げる訳はなかった。
リヤもそれを理解はしていただろうが、それでも行動を改めるつもりはないらしい。
その背中はつい少し前に見た、龍人達の背中と重なって見えた気がした。
次の瞬間にはリヤのすぐ目の前の辺りに火が着弾し、強い衝撃と熱風が襲い掛かってくる。
「ぐっ、うぁ……」
「あっ……! 兄さん……! うっ、ぐっ……」
リヤはそれを受けると真後ろに吹き飛ばされ、トウセイはそれを受け止めると何とかそれ以上は下がらないように耐えていった。
「これが限界か。全く、情けないですよね……。後少しであなたの側に行けそうですから……。その時は思い切り叱ってやってください。父さん……」
次にリヤはトウセイによって床に寝かされながら、自嘲気味に呟いていく。
ただしその顔はどこか嬉しそうであり、それを終えると少しずつ目を閉じていった。
その瞼の裏に浮かぶのは、自身と同じくらい安らかな顔をした一人の男である。
やがてリヤはそのまま安堵したかのように気を失い、自らの役目を終えていく。
「兄さん……。ありがとう。ゆっくり休んでいてくれ……」
トウセイは静かに呼吸をするだけとなったリヤを見つめながら、自身の体に浮かぶ紋様の光をかざしていった。
それは周りで暴れ続ける火から守るための甲火の力であったのか、リヤの全身を覆っていく。
「ふんっ……」
その頃、火龍は眼下を眺めながらつまらなそうに鼻を鳴らしていた。
視線の先で繰り広げられた展開は、決して火龍が望んでいたものではない。
そこにあったのは醜い闘争ではなく、互いに協力して思い合う普通の兄弟の姿だった。
「ちっ……。今さら紋様を統合させた所で何が出来る……! 所詮は俺がくれてやった半端なものだろうが……!」
すると火龍は見たくはないものを目にして、余程腹が立ったらしい。
立腹したように声を荒げると、それから所構わず次々に火を放っていく。
それによってトウセイ達の周りには火が踊り、あっという間に包囲されていった。
甲火のおかげでひどく延焼する事はないが、燃え上がる火によって広間全体の酸素量が急激に低下していく。
あるいは火龍はそれこそが狙いだったのか、見る見る内に室内からは呼吸に必要な酸素が失われていった。
とはいえいくら火を防ぐ甲火とて、このような状況はどうしようもない。
「ぐぅっ……」
「うっ、ごほっ……」
するとトウセイはもちろん、サクも苦しそうに膝をついて陸に揚げられた魚のようにあえいでいく。
さらには周囲に満ちる圧倒的な熱量によって体温はもちろん、眼球の温度もどんどん上がってしまう。
そうなると目が乾いていく感覚と共に、体内から水分が一気に失われていくのがはっきりと分かった。
「かはっ……」
今は意識を失っているリヤも明らかに苦しそうで、その呼吸は今にも止まりそうである。
「欠陥だらけの下等な生物共が……。平伏せ。大地の王に、平伏せ!」
一方で火龍はそれら全てを見下ろし、その頭上から傲慢な声を響かせていく。
力の込められた叫びは広間の隅々まで響き、意識が薄れているトウセイの耳にもしっかりと届いている。
だが朦朧とした状態ではその事について考える事は出来ず、あやふやな意識はまるで夢と現実の境を当てもなく彷徨い続けているかのようだった。
「トウセイ」
不意に場面が移ったかと思うと、直後には懐かしい声が聞こえてくる。
目を開いて辺りを見回してみると、そこはまだ平和だった火の国の城内のようだった。
窓からは爽やかな光と風が入り込み、それ以前からずっと後までただ穏やかな時間だけが流れている。
「お前は、溢れんばかりの力を持っていたら何とする?」
そんな中で眼前の玉座からさらに声を発してきたのは、在りし日の火の国の王であった。
その姿には威厳や逞しさを残しつつも、どこか優しげな表情はずっとこちらに向けられている。
「っ……!」
トウセイがそれに対して何か言おうと口を開くが、何故かうまく声を発する事は出来ない。
そしてその事に気付いた時には不意に視界が激しく揺らぎ、またいきなり場面が入れ替わっていった。
次に移ったのはかつて幼い頃に訪れた町中であり、活気の残る町中には他に人影はない。
「トウセイ。大丈夫、お前ならきっと出来るさ」
目も眩むような日差しの下にいるのは兄のみで、こちらをじっと眺めながら静かに語り掛けてきている。
「……」
一方でトウセイは目まぐるしく変わる状況に翻弄され、ただ呆然としていた。
それでもすぐに体をびくつかせると、はっとした表情で何か話そうと口を開く。
ただしどうしても声を発する事は叶わず、直後には暴風と言ってもいい突風が通りに吹き荒んでいった。
それによって辺りにあったものはことごとく吹き飛ばされ、整然としていた光景は一気に無残なものへとなっていく。
「ぐっ、あっ……」
トウセイは腕で口元や目元を覆いつつ、向こうから押し返そうとするような突風に何とか耐えている。
そんな中でも眼前にいる兄は微動だにしないまま、髪や衣服だけを揺らしながら静かに立ち尽くしていた。
「兄、さんっ……」
目も開けられないような逆境の中、それでもトウセイは手を伸ばして大切なものを掴み取ろうとする。
しかしそんな状況でまた不意に視界が激しく揺らぐと、それからまた場面が入れ替わっていった。
「がはっ、はぁ……! はぁっ、くっ……」
トウセイは意識を取り戻すと同時に何度も咳き込み、それから何とか現状を確認しようとする。
どうやら呼吸が出来なくなった事により、短い間だが意識を失っていたらしい。
そして先程に見た幻影は夢のようなものであったのか、今は何も見えないし何も聞こえはしなかった。
辺りはどこも赤に染められ、燃え盛る火が狂ったように踊り続けている。
「トウ、セイ……!」
するとその時、不意に誰かの必死な声が聞こえてきた。
トウセイが思わずそちらに目を向けると、そこには苦しそうに息を切らせているサクの姿がある。
どうやらトウセイが意識を失ったのを見て心配しているのか、自身も苦しいだろうになおも大声を上げていく。
ただしその無理がたたったのか、顔を青ざめて今にも倒れそうになっていた。
トウセイはそれを驚いたように見つめつつ、ゆっくりと立ち上がっていく。
このまま火龍を好きにさせていたら、惨禍はさらに広がっていくのは目に見えていた。
そうなればより多くの人が傷つき、悲しみや苦しみも今以上に広がっていくのは明白である。
もしもそれをどうにか出来るとすれば、今この場ではトウセイただ一人をおいて他にいなかった。
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