第8話 火


「でも、あの時……。最後に見た兄さんは違った。怖くて、異質で。まるで別人みたいだった。少なくとも、俺にはそう見えていた……」
 だが今はもうそこに戻れないからこそ、トウセイは表情を曇らせていく。
 すでに脳裏の映像は切り替わって、全てが赤い光に満ちた異様な世界となっていた。
 そこには兄の姿もあるが、見た目は同じだとしても別人のようにしか見えない。
「一度その事に気付いたら、あのまま兄さんを放っておく事なんて出来なくて……。それからも紋様を集めて、一時は兄さんを倒すしかないと思い込もうとしたけれど……」
 トウセイはそれからも自分の気持ちをなかなか言葉に出来ないのか、声を詰まらせながら喋っていく。 その体はわずかながら震え、いつになく弱々しい姿となっている。
 火龍と戦っていた時でさえ見せる事のなかったその様は、まるで何かに怯えているかのようだった。
 そしていくら憎しみで心を染め上げようとしても、やはり完全に割り切る事は難しいのかもしれない。
 結局は兄の身を案じる心まで偽る事が出来ず、それからゆっくりとリヤの側にしゃがみ込んでいく。
「それでも、やっぱり俺には……。ごめん、何だかうまく言葉に出来ない。つまり、俺がここまで来た理由は……。兄さんが心配だった。きっと、ただそれだけなんだ」
 続けて正面から視線を交わし、懸命に気持ちを伝えた顔はどれだけぎこちなくとも笑おうとしている。
 精一杯の笑みはこれまでの苦労など何でもないと思わせ、相手の心を安らげようとしているかのようだった。
「それだけ、か。今さら、昔には戻れないと分かっているだろうに……。それでも、お前は……」
 ある意味で悲痛にすら映る不器用な笑顔を見つめていると、リヤは目に涙を溜めながら微笑んでいく。
「ふふ……。ふ、はははははははっ……。あっはっは……」
 どことなく虚ろな笑いはそれからも続き、その姿を見つめるトウセイの顔は段々と曇っていった。
「ぐ……。トウセイ……。もっと近くに来い。そしてこれを、見ろ……」
 やがてリヤは痛みを堪えながら、ゆっくりと体を起こそうとする。 さらに何を思ったのか、そう言いながら自分の腕を差し出してきた。
 そこには今まで見た事のない、不思議な形状をした紋様が赤く輝いている。
「兄さん、これは……。紋様、なのか……?」
「幻灯火……。形なきものさえも燃やす事が出来る幻の火。魂さえ焼きつくす、浄化の炎だ……」
 トウセイが怪訝そうな顔でそれを見つめていると、リヤは構わずトウセイの腕を強く掴んでいった。
 リヤの顔は辛そうに歪んだままで、絞り出すような声は辺りに静かに響き渡っていく。
「……」
 対するトウセイはまだ半信半疑のようだったが、紋様から目を離せなくなっていた。
 確かにその紋様は他のものと違い、その輝きを見ていると見ていると何故か心が落ち着くように思えてくる。
「これと、あと他の紋様も……。お前に……。託す。僕にはもうこれくらいしか出来ない。出来るならお前と、一緒に国を立て直したいがな……」
 次にリヤがそう言うと、その腕にあった紋様が触れた部分を伝ってトウセイの腕へと移っていく。
 ただし紋様が減っていくと同時に、体に残る活力すら失われているのかもしれない。
 リヤの霞んだ目は段々と閉じられ、弱まっていた呼吸はさらに乱れつつあるようだった。
「まだ出来るさ。やり直そう。俺と、一緒に……」
「無理だ……」
 トウセイは元気付けるように今度は自分からリヤの手を取るが、リヤの方は小さく首を横に振るだけである。
「いいや、無理じゃない。いつか必ず、兄さんなら……。守り、育む事はきっと出来るんだから……」
 それでもトウセイは弱気を吹き飛ばすかのように語気を強め、確信めいた言葉を口にしていく。
「トウセイ……? いや、あなたは……?」
 リヤはそれを聞くと何かを感じ取ったのか、目をわずかに開くと怪訝そうに呟いた。
 それと同時に視線の先にいる、トウセイのすぐ背後には何かが見えてくる。
 誰かの後ろ姿のようにも見えるそれは、かつてリヤが反目していた相手によく似ているようだった。
 しかしそれが見えたのもほぼ一瞬でしかなく、わずかに振り返った横顔を見せるとすぐに消えていく。
 その正体がはっきりと判別する事はなかったが、それでもリヤはずっと呆然としたまま見続けていた。
「そのためにも俺が火龍を倒す。不可能な事などはないと、まずは俺が証明してみせる」
 一方でトウセイはリヤが何を見ているか気付いていないのか、そう告げると慌ただしく立ち上がる。
 返答を待たずに急ぐのは火龍を逃すまいとしているからか、あるいはまた拒否されるのを嫌っているのかもしれなかった。
「トウ、セイ……」
 その様を眺めるリヤはようやく我に返ったのか、そう小さく声を上げると手を伸ばそうとする。
 だがその途端に体から力が抜けると、再び床に倒れ込んでいく。
 紋様の移譲はまだ完全には終わっていないようだが、弱っていた体はそれから勝手に意識を失っていったようだった。
「兄さん。待っていてくれ。もうすぐ、全ては終わるから……」
 それでも幻灯火だけはトウセイに移ったのか、その左腕では新たな紋様が輝きを放っている。
 トウセイはそれから今は小さく呼吸を繰り返すだけとなったリヤに、自分の外套をそっと被せていく。
 そして自らの腕に輝く新たな紋様をわずかに眺めた後、火龍を追うために下の階層へ歩き出していった。

「ちっ、まさか人間があそこまで力を使いこなすとは誤算だったな。まだ手は残っているが、こうまで屈辱を味わう事になるとは……」
 その頃、下の階層に移動した火龍は何故か動きを止めて考え込んでいた。
 辺りには特に人影はなく、同化の出来る相手など見当たらない。
「こんな事になるのなら、あの時にさっさと始末しておけば良かった。そうすれば今頃、もっとじっくりとこの国の動乱を楽しめただろうに……」
 だというのに火龍は落ち着き払っており、先程までのうろたえた姿などは跡形もなくなっていた。
 そしてそれから前に進もうとわずかに動き出した時、不意に前方で誰かと出くわす。
「えっ……。りゅ、龍……?」
 そこにいたのはサクであり、頭の後ろで両手を組みながら目を丸くしていた。
 どうやら先程から迷ったまま、辺りを適当に歩く内にここに辿り着いたらしい。
 しかしその途端に火龍と鉢合わせになり、かなり驚いた様子で今も呆然としている。
「なっ……。お前は木龍!? 何故、ここにいる……。いや。また、か。あの時と同じく、またお前達が邪魔をしようと言うのか……!」
 対する火龍も当初は驚いていたが、すぐにサクの隣に木龍の姿を見出したらしい。
 そうなると急に怒りを露わにし、燃える火のような外見をさらに激しく燃え上がらせていく。
「……ねぇ、何か知っているの。木龍?」
 一方でサクは初対面の相手に出合い頭で激昂され、困惑しながら横を向いていった。
「あぁ。まあ、な……」
 するとそこにいた木龍は同意するように頷くが、語る言葉はかなり少ない。
「そもそもお前達が人に迎合し、つけあがらせるから奴等は暴走したのだ。そのせいで、俺達は肉体を失う事になったのだぞ!」
 逆に火龍は今にも食ってかかりそうな勢いで、なおも盛んに怒鳴りつけていく。
「……」
 対する木龍はそれを正面から受け止め、それでもじっと黙ったままだった。
「木龍、どういう事? どうして何も言い返さないのさ。ねぇ……」
 サクはいつもと違うそのおかしな態度を見ると、不審がって問いかける。
「……」
 だが木龍はなおも口を閉ざしたままで、何も答えようとはしなかった。
「俺達は人に知識を教え、望む者には龍の力さえも分けてやった。だが人は何を返した? 無礼な拘束、奇異の視線。挙句の果てには俺達の肉体すら奪っていこうとした!」
 一方で火龍の怒りは留まる所を知らず、己の持つ不満を全てぶつけるかのように話し続ける。
 その身に纏う火も激しく燃え上がり、室内の気温は一気に上昇していった。
「それが奴等の礼義か! 誇りや尊厳だけでなくありとあらゆるものをその手に収めようとする。そんな事しか出来ないのか!」
 さらにそう言ったかと思うと、火龍の顔の辺りにいきなり紋様が現れる。
 それと同時に空中に火球が現れると、それを正面に向けて勢いよく放っていった。
「!?」
 サクはそれに驚いて身を固くするが、そちらには初めから当てる気などなかったらしい。
 火球は木龍の体を直撃するとその体をすり抜け、背後にあった壁に激突して散っていく。
 その音を聞いたサクは驚いた様子で、すぐにそちらへ目をやっていった。
「確かにあの時、人が暴走したのは事実だ。だがその後、私達がお前達を止めようとしたのは別の話のはず。あのままでは、お前達は人の全てを滅ぼそうとしていただろう」
 一方で木龍はずっと火龍の方を向いたまま、宥めるように話していく。
「当たり前だ! その気持ちは今も変わらん! だから今もこうして苦しめているのだ、人を!」
「お前の気持ちは分からんでもない。だが、この国の者達は関係ないだろう……」
「いいや、知った事か。人など、どれも同じだ! 奴等がしたように俺も遠慮はしない。望み通り、龍の力を見せつけてやる! 嫌と言う程な!」
 しかし火龍はまるで説得に応じず、努めて冷静な木龍とは正反対だった。
 そして行動を意思表明とするかのように、大きく叫ぶと同時にまた火球を出現させていく。
「それが復讐だとでも言うつもりか。くだらん……」
 ただし呆れるように呟く木龍には通じず、むしろ今まで以上に冷めた軽蔑するような視線を送ってさえいた。
「いいや、違うな。人間如き、そんな対象にすらならん。俺は連中のやり口に龍ならではの方法を合わせ……。そう、精々遊びとして楽しんでやろうと思っただけだ!」
 火龍はそれを強く見返して大きく息を吸うと、そう言い放って口の端を歪ませていく。 その様は本当に愉快そうで、言葉通りに遊びに興じているかのようだった。
 対する木龍はそれに呆れたまま、さらに何かを言い返そうと口を開く。
「……遊びだと?」
 だがそれより早く、不意に背後の方から声が聞こえてきた。
「!?」
 その声に驚いて火龍は振り向き、サクと木龍は正面に目をやる。
 そんな三者の視線の先にいたのは、刀を手に下げたトウセイだった。 顔は先程の火龍と同等と言えるくらいに歪み、その目は真っ直ぐにただ一つのものを睨み付けている。
 身の内に宿す怒りはすでに、いつ爆発してもおかしくないと思える程だった。
「トウセイ!」
 一方でサクはようやく探し求めていた相手を見つけると、嬉しそうに声を上げる。
「では俺達はお前の暇つぶしに付き合わされ、何も知らぬまま弄ばれていたのか? ちっ、全くここまで吐き気を催すような奴だとはな……」
 しかしトウセイはサクの事など目に入らないのか、火龍を凝視したまま刀を構えていく。
「くぅっ、人の分際で……」
 火龍は向けられる憎しみと刀の先端を忌々しそうに見つめ、呟きながら顔をしかめている。
「だがこうまで腐っている相手ならさぞかし狩りがいがありそうだ。兄さんの体から出ていったおかげで、大分手間も省けそうだしな……」
 対するトウセイは宿敵に狙いを定めたまま、新たに手に入れた紋様を輝かせていった。
「それは……! どうしてお前がそれを……。いや、それよりも自分が何をしようとしているのか分かっているのか。人ごときが、龍を手にかけるなど……!」
 火龍はそれを見るとその力が何なのか、すぐに気付いたらしい。 途端に身を反らすと慌て出し、表情や目付きには初めて怯えのようなものを浮かべている。
 どうやら幻灯火はリヤの言った通りに、魂だけの状態となった龍にとってもかなりの脅威になり得るようだった。


  • 次へ

  • 前へ

  • TOP















  • inserted by FC2 system