第8話 火


「全く……。多くの時間と苦労の割には本当に虚しく、呆気ないものだったよ。あんな小者に翻弄されるなんて昔の僕はどうかしていた。短慮の果てに全てを奪われ……」
 やがて時は現在に戻り、リヤはやや疲れたように言葉を口にしている。
「国も、王の座も何もかもを失ってしまい……。いや、違うか。そのどれもが、いずれはお前が手にするものだったんだよな。それなのに僕はあんなにも躍起になって……」
 続けて自虐的に微笑んだかと思うと、段々と落ち込むように顔を俯かせていった。
「兄さん。俺は王を継ぐつもりなんてなかった。俺にはその資格なんてないと思っていたし、兄さんがなった方がよっぽど国のためになると信じていた」
 トウセイはその姿を見ると思わず前に進み出て、嘘偽りのない気持ちをぶつけようとしていく。 その表情や歩みはいつになく弱々しいものだったが、懸命に話そうとしているのは分かる。
「見え透いた嘘は止めろ」
 だがリヤは最初から信じる気などないのか、一気に冷たさを増した口調と視線を向けていった。
「そんな、俺は本当に……」
 するとトウセイはそれだけで何も言えなくなり、一旦は前に出た足も止まってしまう。
「だから、もういい。とにかく僕はこれから、お前の持つ火の紋様を奪う。一度は分かたれた火の紋様を、この身に全て集めるんだ」
 対するリヤは気持ちを切り替えるかのように頭を横に振り、目を伏せたまま体に力を込めていく。
 そして並々ならぬ執着心は未だに衰えないのか、次の瞬間には赤い紋様が全身に浮かんでいった。
「そして国も、力も……。あの日に失った、全てを取り戻す。そうさ。僕はそれだけを願いに、今日まで必死に生きてきたんだから……!」
 紋様の輝きの強さはサイハクを処刑した時の再現のようであり、リヤの感情の揺らめきの大きさを表しているかのようでもあった。
「どうしてだ……?」
 しかしトウセイは圧倒的なまでの火の力を目の当たりにしても、全く動じていない。
 自分も同種の力を持っているからこそ、普通ならその凄さを理解して怯え切ってもおかしくはないはずである。
 それにも関わらず、トウセイは先程から一貫して何事もないかのように振る舞っていた。
「何の事だ……?」
「これまでの話を聞いて、兄さんがどうしたいのかは分かった。でも、それより以前に……。兄さんはどうして火龍を受け入れたんだ?」
 リヤはそれを見ると訝しむが、トウセイはそれを気にせずにゆっくりと話し出していく。
「はっきりとは言わなかったけれど、兄さんは龍を快くは思っていなかったはずだ。最後にそれくらい、教えてくれないか」
 例えもう引き返せない所まで来ていたとしても、それでも知っておきたい事がある。 真っ直ぐに兄を見つめながら投げかけた疑問には、そんな思いが込められているかのようだった。
「……確かに僕は龍が好きではなかった。国を追われてからは憎んでさえいた。でも所詮、人では龍に敵わない。人には龍と戦うための、抗うための力がないから」
 対するリヤはわずかに考え込んだ後、それから火の紋様の光を少し抑えていく。 そして口を開いて語る様は真剣だったが、少しずつ顔は悔しげに歪んでいった。
「だが、もしもその力が手に入るのなら? これ以上奪われないために、果てしなく強くなる事が出来るのなら?」
 さらにそう言うとおもむろに両手を広げ、虚空を見据えながら問いかけを放っていく。
「例えその力が他ならぬ、憎んでいた相手から恵まれるものだとしても……。僕はそれを迷わず、掴み取っただけだ」
 それから広げた手をゆっくりと握り締めていくと、迷いや後悔のない表情で深く頷いていった。
「兄さん……。そうか。やはり俺と兄さんは兄弟だな。とことん、そっくりだ……」
 トウセイはそんなリヤを見ながらふと俯き、味気のない言葉を返す。 ただしその口元には、わずかながら笑みが浮かんでいるかのようだった。
「……?」
「いや、何でもないさ」
 だがリヤはまたも怪訝そうな表情をし、それからトウセイは気を取り直すように首を横に振っていく。
「俺は何をすればいいのか、ここに来るまでずっと考えていた。兄さんを殺すのか、それとも他に方法があるのか悩み続けていた」
 そして改めてリヤと正面から向かい合うと、しっかりと目を合わせながら話し出す。 真剣さに満ちた姿にはもはや動揺など欠片もなく、自信に満ちてかなり堂々としていた。
「……答えは出たのか?」
 対するリヤもその姿から一瞬たりとも目を逸らす事なく、静かに問いかけていく。
「今でも何が一番いいのかは分からない。そして、これからも答えは出ないと思う。でも、これだけは言える。俺も全てを終わらせるよ。今日、ここで」
 次にトウセイはわずかに目を伏せた後、自分の腕へと視線を落としていった。
 そこには赤い紋様が浮かび、リヤと同じ赤い光を放っている。
 トウセイはそれを見た後に吹っ切れたように顔を上げると、いつになく明るく純粋な声を響かせていった。
 その視線は真っ直ぐに前方へと向かい、やがてリヤのものと交錯していく。
「そうか。だがどうせ、お前の半端な力ではな……。すでにお前の持つ紋様以外の全てを手に入れた僕とでは……」
 しかし当のリヤはそう言うと小さく息を吐き、目を伏せていった。 その様はトウセイを侮っているようでもあり、どこか残念がっている風にも見える。
「……」
 一方でトウセイはそれから静かに刀を抜き放つと、無言で答えを示すかのように一気に振り下ろしていく。
 空中に残った軌跡には赤い一筋の線が残り、それはやがて大きく爆発しながら大量の火を散らせていった。
 トウセイは自分に向かってくる火を外套で防ぎつつ、なおも目線はリヤの方へずっと向けている。 言葉こそ口にしてはいないが、その目付きは本当に雄弁に語っているかのようだった。
「へぇ……。この前よりは強い火を呼べるようになったか」
 一方で火が収まった後、そこには微かな火傷すら負っていないリヤが現れる。
 ただし感嘆するような言葉とは裏腹に、あまり大きな驚きは受けていないようだった。
「まだまださ。兄さんに比べれば……」
 トウセイもその言葉を単なる賞賛でないと分かり切っているのか、油断する様子などまるでない。
 その後も刀を握り締めてくと、強い警戒心を正面へと向けていった。
「ふふっ、謙遜するな。お前は他の者に比べれば、火の紋様に大分馴染んでいる。それは火の紋様を扱えるという事で……。やはり、お前にも資格が……」
 対するリヤはそう言って微笑むと、自分の体に浮かぶ紋様を眺めていく。 その時の顔はわずかに暗くなり、どこか寂しげな表情も浮かべていた。
「兄さん?」
「いや、何でもないさ……。ところで、お前に見せたい……。いや、会わせたい奴等がいるんだ」
 すると今度はトウセイが怪訝な表情をするが、リヤの表情はすぐに元に戻っていく。
「?」
 トウセイがなおも不思議そうにしていると、ふと横の方から何かが聞こえてきた。
 思わずそちらへ目を向けると、そこには今いる広間と廊下を繋ぐ大きな扉がある。
 トウセイがここに来る前から開け放たれていたそれの向こうから聞こえてきたのは、どうやら何者かの足音らしい。
 しかもそれは一人のものではなく、複数人のもののように聞こえてくる。
 さらに今もこちらに近づく規則正しい足音はかなり重く、どうやらここに来ようとしているのはかなり大柄な者達のようだった。
 だが例え誰が来ようが、トウセイにとって味方である可能性は低い。
 そのためにトウセイは警戒するように身構えるが、対照的にリヤは楽しげに笑みすらこぼしていた。
「……」
 やがて満を持してそこに姿を現したのは、これまで幾度となく戦ってきた龍人である。
 ただしその数はこれまでになく多く、その後も次から次へと増えていく。
 加えてその龍人達は誰もが訓練されているかのように規則正しく、一糸乱れぬ動きを取り続けていた。
 そしてリヤを守るかのようにその前に整列すると、以降はぴくりとも動かなくなる。
 主からの指示がなければ身じろぎさえしないのか、その姿はよく出来た彫像のようでもあった。
「あれは……。また、龍人か……。面倒な……」
 一方でトウセイは数の上では完全に劣勢に立たされ、思わず顔をしかめていく。
 さらに眼前に並ぶ龍人達を一通り眺めていくと、激しい戦いになると予感したのか刀を強く握り締めていった。
「何だ、気付かないのか? お前ならすぐに分かると思ったんだがな」
 しかしそんな緊張感に満ちた場にあって、リヤは体の力を抜き切っている。 呆れたように呟く様からは、先程までの迫力などまるで見られなくなっていた。
「え……。何かおかしな所でも……?」
 対するトウセイはその言葉を聞くと怪訝そうな顔をして、それから改めて龍人達の方へ目を向けていく。
「なっ……!? あれは火の国の兵士のもの……!」
 すると直後には何かに気付いた様子で目を大きく見開き、驚きの声を上げていった。
 その目には独特な装身具が映っており、どうやらそれはその場にいる全ての龍人が身に着けているらしい。
「あぁ、そうさ。僕が言うまで気付かなかったなんて、薄情な奴だな。まぁそれでも、こいつ等に比べればずっとましだが」
 リヤはその反応が可笑しかったのか、そう言いながら満足気に頷いていく。
「そう、こいつ等はこの城を守っていた兵士達だ。本来なら国の一大事の場面では、最も重要な働きを見せなければならない者達でもある」
 さらに全員を紹介するかのように丁寧に腕を振るっていくのだが、何故かその体には再び赤い紋様が浮かび出している。
「だが、こいつ等は事もあろうに……。僕達を裏切ったんだよ」
 そして唐突に抑揚のない声を発したかと思うと、一際強い輝きが紋様から放たれていった。
「……!?」
 トウセイは思わず目を閉じそうになるが、その直後に現れたものを見ると逆に目が見開かれていく。
 視線の先にはそれまで存在しなかった大きな火球が現れ、燃え盛りながらリヤの頭上で浮かんでいる。
 それを見たトウセイは体を強張らせ、こちらに飛んでくるのではないかと身構えていく。
 だがいくら待とうとそのような展開は訪れず、こちらには全く危害は及ばない。
 逆に火球は一定の大きさを保ったまま、何故か眼前に佇む龍人達の方へと勢いよく落下していった。
 そして立ち並ぶ龍人の一角に命中すると、激しい火や熱気を全方位に散らしていく。
「なっ……!?」
 一方でトウセイは目の前で起きた光景に対し、完全に理解が追いついていない。
 龍人は自分にとっては敵だが、リヤにとっては味方だったはずである。
 なのにリヤは龍人に対して攻撃を加え、龍人達もそれに抗おうとすらしていない。
 誰もが棒立ちのままで火球を受け止め、避けたり防御する素振りさえ見せなかった。
 もちろん逃げ出す者もおらず、トウセイが唖然と見つめる前ではさらに龍人達が火球によって薙ぎ倒されていく。
「ふふっ、トウセイ。的はまだまだ残っている事だし、お前に見せてやろう。果たして僕がどれだけ強くなったのかをね……」
 辺りはすでにかなりの熱気で満ちているが、対照的にリヤの顔にあるのは冷たい微笑みだけである。
 それからも全身にある紋様を輝かせると、自らの周囲に赤く燃え上がる火を纏っていく。
 そして頭上にはいくつもの火球を生み出し、それらは先程までと比べて明らかに火力が上がっているようだった。
「兄さん、いや……。あれは本当に、俺の知っている兄さんなのか……?」
 対するトウセイはこれまでにないリヤの激しい変化を目の当たりにして、ひどくうろたえている。
 しかしどれだけ考えようと答えが出るはずもなく、違和感や疑問を抱えたまま立ち尽くすしかなかった。


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