第8話 火


「うおおおぉぉぉ!」
 ロウはそれから霊剣を後ろに大きく振り被った後、全身全霊を込めて一気に振り下ろしていく。
 対する龍人は抵抗もなしにそれを迎え入れ、剛毅な体はいとも簡単に斬り裂かれていった。
 かつてどんな力も拒んできた巨体は、それから流れるように後ろに傾いていく。
「ガッ、ア……!」
 そして大きな音と衝撃を響かせながら、地面に仰向けに倒れ込んでいく。 傷の部分へと手を当ててはいるものの、すでに意識は朦朧としつつあるようだった。
 その体からは完全に力が抜けており、人並み外れた存在であった頃の迫力などはほとんど残っていない。
「はぁっ、はぁっ……。はぁ、はぁ……。う、くっ……」
 一方でロウは激しく息を切らせながらも、何とか心を落ち着けようとしている。
 その手にある霊剣はすでに力を使い果たしたのか、光を失って元の錆びた剣に戻りつつあった。
 そしてすでに勝負がついたと思っているのか、特に警戒もせずに前へと進んでいく。
「おい、大丈夫か……!? 今すぐ、傷の手当てを……!」
 やがてロウは龍人の側に膝をつくと、動揺した様子で話しかけていった。
 相手は自分の命を奪いかねなかったというのに、傷の様子を窺う様は真剣そのものである。
「う、アぁ……。それには、及ばん……。ここで死ぬのなら、それもさだめだ……」
 対する龍人はそんなロウの接近に気付いたのか目を開き、わずかに口を動かしていく。
 しかしその体は薬の影響なのか、体はひどく痙攣したままだった。 あれ程の力の代償なのか、筋肉や鱗も急速に衰えているように見える。
「すま、なかった……。そして、ありがとう……。俺はあらゆることを、ことごとくたがえてきたが……。あんたは、そうはならないでくれ……」
 それでも龍人は自分の意思を伝えようと、拙い口調ながら懸命に言葉を紡ごうとしていた。
「あぁ、分かった。あなたの教え、思いはちゃんと受け取っておく。決して忘れる事はないよ」
 ロウはそれを一言一句聞き逃さず、手を龍人の体に添えながらしっかりと頷いていく。
 一方で龍人はすでに虫の息となっており、意識を失いそうなまでに弱っている。
 だとしても決死の思いはロウに確かに伝わり、きちんと受け継がれているようだった。
 まだその場には金と銀の輝きを放つ粒子が舞い、やけに静寂に包まれた場は切なさや儚さで満ちている。
「頼ん、だぞ……。霊剣の使い、手。人と、龍を繋ぐ者よ……」
 それから龍人の喋る言葉は段々と途切れるようになり、安堵した様子で目も閉じていく。
 落ち着いた雰囲気からは当初の荒々しさなどまるで感じられず、表情も楽しい夢でも見ているかのように変わっていた。
「……」
 ロウはそれを見終えると龍人から手を離し、どこか悲壮な表情を浮かべながら立ち上がる。
 その後ろ姿には当初は無力感のようなものも漂っていたが、怒りや憎しみといった類のものは感じられない。
 むしろ以降は思いを交わした相手の意思を受け継ぎ、これからに繋げようとする強い決意を抱いているかのようだった。

「えっとぉ……。ここまでは何とか無事に来れたけれど、この道で合ってるのかな……?」
 その頃、サクは一人で不安そうな表情をしながら辺りを見回していた。
 相変わらずその道すがらには、トウセイが倒したと思われる龍人が何体も倒れている。
 その他には龍人の姿などはまるでなく、ひとまずはサクが襲われるような事はなかった。
 逆に言えばそれだけの数をトウセイが一人きりで倒したという事であり、激しい戦いの跡はそこら中に残っている。
「もう……。本当にどこに行ったのさ、トウセイ。僕にこんなに苦労をかけさせて、見つけたらただじゃ置かないんだからね……」
 サクはそんなトウセイの残した痕跡ともいえるものに目をやりつつ、なおも足を止めずに進んでいこうとしていた。
 だが次の瞬間、不意に辺りに静かな風鳴りが響いていく。
「えっ……?」
 それに気付いたサクは思わず身を震わせ、すぐに周囲に目をやっていった。
 ただし辺りには特に変化はなく、何の気配もない。 つい少し前のようにいきなり龍人と出くわす可能性もあったが、今回は気のせいのようだった。
「ふぅ……。な、何だ。驚かさないでよね。べ、別に怖くなんてないよ。火龍と戦うかもしれないのに、無駄に力を使いたくないだけなんだからね……」
 それでもサクはどこか怯えや不安を浮かべ、それを吹き飛ばすかのように強がっている。
 その目はしきりに周囲に向けられ、足は先程よりも慎重に動くようになっていた。
 さらに体は自然と道端にある木などの障害物の後ろへ向かい、警戒を強めているようにも見える。
「サク」
「わっ!? わ、わ……!?」
 するとそんな時、隣から声がしてきてサクは瞬時に身構えていく。
 しかし直後に現れたのは木龍であり、そんなサクの事を怪訝そうに眺めていた。
「何だよ、驚かさないでよ。木龍……。で、何か用?」
 一方でサクは胸を撫で下ろしつつ、他には誰もいないのか確認するように目を動かしている。
 それでも木龍が現れた事で少し不安が消えたのか、縮こまっていた体も元に戻っているようだった。
「火龍の所へ行くのは危険だ。木と火では相性が悪い。ましてお前の未熟な龍の力では、どうしようもないだろう」
 対する木龍はいつも通りに淡々とした口調で、それを聞いたサクは一瞬だけ迷うような態度を見せる。
「……それでも、僕は行かなくちゃいけないんだ」
 だが直後には背を向けると、顔を合わせずにそう言い返していった。
 さらに決意を行動で示すかのように、少し身を屈めると木の影から勢いよく飛び出していく。
 続けてサクは小走りのまま、どこかへ向かって走り出していった。
 向かう先には大きな城が見えており、もう距離はさほど遠くはないように思える。
 そしてそこへ向かうサクの顔は真剣なままで、考えを変える気など微塵もないようだった。
 対照的に木龍は同化しているからこそ、その考えがはっきりと分かるのか表情を歪ませていく。
「愚かな……。理解出来ん」
 そのために深い溜息をついていたのだが、同化している以上はサクから離れられない。
 木龍は次にかなり不本意そうではあったが、サクの後を追うように動き出していった。
「うん。君には分からないかもしれないけれどさ。それが人なんだ。龍とは違う生き物なんだよ」
 サクはそれからなおも走りつつ、背後からついてきているであろう相手に声をかける。
 一向に振り向かない顔は自嘲しているかのようで、わずかな微笑みさえ浮かべていた。
「何……。お前は龍を目指しているのではないのか?」
「そうなんだけれどさ……。僕はまだ龍ではなく、人だからね。今はこれでいいんだよ。そう、今だけは……」
 対する木龍はたしなめるように言い返し、サクは初めは沈んだ様子で答える。
 その目はまだ伏せがちではあったが、最後には自分に言い聞かせるように呟きながら明るい顔を取り戻していった。
 そして前を目指してひたすら走り続ける内に、もう城はすぐ目の前にまで迫りつつある。
「ふむ……。ならば、好きにすればいい。だがお前は自分が何を目指しているのか、もう一度よく考えるべきだな」
 しかしそこへ至ると木龍はサクから視線を外し、行方を見届ける事もせずにさっさと姿を消してしまう。
 その口調は呆れ果てているかのようで、見方によっては愛想を尽かしてしまったようでもあった。
「はぁ、ふぅ……。うん。そんなの、分かっているさ」
 一方でサクは気にする様子も、言い返す事もしない。 今さらこの程度で自分達の関係が壊れるはずもないと確信しているのか、微笑みさえ浮かべていた。
「でも本当に、何で僕は行くんだろう。彼は単なる旅の同行者に過ぎなかったし……。あの話を聞いたのだっていきなりの事で、本当かどうかも分からないのに……」
 ただし何の支障もない訳でもないのか、ふと立ち止まると静かに呟いていく。
「いや……。まぁそれでも、放っておく訳にもいかないよね」
 だが悩むような表情はすぐに消えると、懐から何かを取り出していった。
 その手の中にあったのはトウセイが残していった、内容の短い置手紙である。
 サクは次にそれを持ち上げると、太陽の光に透かすようにして眺めていく。
 そこには別れの挨拶が簡潔に書かれているだけで、何度読み返しても味気なく思えてしまう。
「これについて、文句の一つでも言ってやらないと……。僕の気が済まないからね!」
 しかし逆にそれを見る事で逆に気持ちが刺激されたのか、サクは急に元気よく声を上げていった。
 そして紙をまた懐にしまい込むと、あともう少しとなった城への道を意気揚々と進んでいく。
 開けた道にはすでにサクを止めるような存在はなく、ただ異様な程の熱さとじんわりとした嫌な雰囲気だけが待ち構えていた。

「……俺は、あれで良かったんだろうか」
 ロウは激闘を終えた後、建物の陰に一人で座り込んでいた。 その気持ちは落ち込んでいるのか、姿勢もずっとうなだれたままでいる。
「どうした、何を考えている」
「なぁ、俺は正しかったんだろうか。あぁするしか方法はなかったのかな。俺には分からない。もしも分かるのなら、教えてくれないか。光龍……」
 するとそんな時、光龍が音もなくやって来るがロウは振り向く事さえしなかった。
「私よりきっと、奴の方がよく知っているはずだ。あの顔を見てみろ」
 対する光龍はぶっきらぼうに言い返すと、視線を別の場所へと向けていく。
「ぇ……?」
 ロウはそれに気付くと、その言葉に従って光龍の視線が向かう先を追っていった。
 それはここからやや離れた場所へと向かい、そこには倒れたままの龍人の姿がある。
 すでに出血も止まっているのか容体は安定しており、顔はまるで眠っているかのように安らかだった。
 穏やかな雰囲気は戦っている時には終ぞ見せなかったものであり、どことなく人間だった頃の面影が残っているかのようでもある。
「あ……」
 ロウはそれを見ると思わず声を上げ、何かに気付いたように目を見開いていく。
 同時に体は自然と前のめりになり、わずかに日の下にその姿を晒していった。
「あの龍人はお前に倒され、きっと満足だったのだ。だからこそあぁまで安堵し、安らかに眠っている。きっとそれが、お前の求める答えなのだろう……」
 次に光龍は目を細めながら話し、落ち着いた表情や声を見ると光龍自身も安らいでいるかのようだった。
「あぁ……。そうか。いや、そうだな。そうだと、いいな……」
 ロウはその声に耳を傾けつつ、ひたすら龍人の事を眺めている。 その間にも体は自然と立ち上がり、前へと向けて何歩か歩き出していった。
 そして段々と顔には笑みも浮かぶようになり、やがて最終的には満足そうに深く頷いていく。
 すでにその姿からは先程まで抱いていた悩みなど存在せず、清々しい気持ちで満ち足りているかのようだった。
「ロウ、あの龍人の姿を忘れるなよ。力だけを求めていれば、お前もいずれはあぁなっていた。奴はある意味、命を懸けてそれを止めてくれたんだ」
 光龍はそれから神妙な顔をすると、自身は暗がりから忠告をしていく。
 そう何度も間違えるはずはないとは思いつつも、また闇の紋様が不穏な動きを見せるかもしれない。
 光龍はその事を危惧しているのか、視線も自然ときつくなっていた。
「あぁ、忘れないさ。俺は彼の意思を引き継ぐ。いや、彼だけじゃない。師匠や合成龍。他にもたくさんの人達の……。全てを忘れずに繋いでいく」
 だがロウの方は気負う事もなく、かといって懸念する事もない。
「それがきっと生きている俺の使命。生き続ける限り、やらなければならない事なんだ」
 ただ自分のすべき事にだけ思いを馳せ、手を胸の前で握り締めると決意を新たにしている。
 日の光を一身に受けるその姿はとても力強く、内に宿る思いの強さを感じさせた。
「そうか。まぁ、お前の好きなようにやってみるがいいさ……」
 光龍はそれを見届けると静かに目を閉じ、満足そうに頷いていく。
 そして音もなくその姿を消し去ると、センカの元へと戻っていったらしい。
 後に残ったのはロウだけであり、それからもしばらく物思いに耽るようにその場にずっと立ち続けていた。


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