第6話 素体


「そ、そう言われても……。あなた一人だけを残して行く訳には……」
 だがそう言われた男の方はなかなか動こうとせず、いつまでもぐずぐずとしている。
「いいからっ……。自分の身くらい、自分で守れる。あんたこそ自分の事さえ定かじゃない分際で、他人を心配している余裕なんてないでしょっ……!」
 女はそれを見ると声を荒げ、今もすぐ側にいる相手を強く突き飛ばしていく。
 やがて男もその意思を汲み取ったのか、まだこちらを何度も振り返りながらそこから逃げ出していった。
「……」
 一方でトウセイはそれを見ても、特に追いかけたりはしない。 そもそも火の紋様を持っていない男など、初めから眼中にないかのようだった。
 そのために男もすぐに姿を消し、それを見ながらふと女が動き出していく。
「そうさ、それでいい。こんなものに関わるなんて、あたしだけで充分さ……」
 まだ苦しげな息を漏らしつつもそう言うと、女は次に立ち塞がるかのように両手を広げていった。 その目は真っ直ぐにトウセイを射抜き、体をふらつかせても一歩も引こうとはしていない。
 さらにその強い意思を表すかのように、首筋の赤い紋様はより一層明るさを強めていた。
「おい。さっきから何を勘違いしているのか知らんが、とにかくまずは話を……」
 対するトウセイはそんな相手の態度に戸惑いつつも、まずは声をかけようとする。
「はっ……。やっぱりここに来たんだね。こいつがある以上は時間の問題だとは思っていたけれど、こうも早く自分の番が回ってくるとは思ってなかったよ」
 だがそれが済むより早く、逆に女の方が口を開いていった。 紋様の部分に触れながら話す顔は、どこか得意げにも見える。
「今さら隠さなくたっていい。あんたなんだろ? ここ最近、火の紋様を持つ者を次々に襲って紋様を力づくで奪っているのは……」
 さらに糾弾するように強く睨み付けると、体は警戒を如実に表すように強張っていった。
「は……? 一体、何の事だ」
「あれぇ? じゃあやっぱり、トウセイってそういう事をしていたんだ?」
 それでもトウセイは心当たりがまるでないらしく、そうしていると不意にサクが口を挟んでくる。
「ちっ……。どうしてそう、面倒な時にばかりしゃしゃり出てくるんだ、お前は……」
 するとトウセイはあからさまに顔をしかめ、頭が痛いとでも言いたげに手をやっていく。
「だって、その人が……」
「はぁ……。いいから黙っていろ。俺は確かに火の紋様を集めてはいるが、人の命まで奪ったりはしない。証拠もなしに言いがかりをつけられても、迷惑なだけだ」
 直後にサクが言い返そうとすると、トウセイはさらに辟易としたように深い溜息をついていった。
 そして話しながら動かす目線は、やがて前方にいる相手へと移っていく。
「なっ……! あたしが嘘をついているってのかい! いいさ、だったらお望みの証拠を見せてやる! 後になって吠え面かくんじゃないよ……!」
 しかしその言葉に対し、女はいきなり大きな声で反論する。 過剰なまでの反応は、赤く光る紋様に合わせて感情が高ぶっているかのようだった。
「えっと……。確か、ここに……。あれ? ちょ、ちょっと待ってな。この前貰った人相書きが、うーん……」
 さらにその後には自分の服の中に手を突っ込み、おもむろに何かを探し始める。 ただし探し方が荒いために素肌が幾らか露わになっているが、それを気にする素振りはない。
 目的のものもなかなか見つからないのか、そうしている内に段々と紋様の光も弱まっていった。
「あ……! あった、あった! ほうら、とくと見な!」
 やがて紙を取り出すのにいくらか悪戦苦闘した後、ようやく懐から一枚の紙を取り出すとそれを突き付けてくる。
「……」
 トウセイはその人相書きらしきものに顔を近づけていくと、真剣な顔つきで目を細めていく。
 さらに一度見た後もなかなか目を離さず、改めて確認するように見続けていった。
「へへっ、どうだ! 参ったか!」
 それを眺める女は満面の笑みを浮かべ、勝ち誇ったように何度も頷いている。 その元気で活発そうな気性こそが、女の本来の姿なのかもしれなかった。
「いいや……? 何度見直した所で、やはり俺とは似つかわしくないと思うんだが……」
 だがトウセイの方はそれから心底うんざりとした表情で、今も紙を見つめながら呟いていく。
「え? 嘘、でしょ? いやいや、そんな事があるはずが……」
 すると女の方もにわかに慌て出し、人相書きとトウセイの方を改めて見比べていった。
 そうしてみると描かれていた男の顔は、確かに一見すればトウセイに似ているようにも見える。
 ただしそれはあくまでぱっと見ればの話で、目を凝らしてよく見ればやはり別物だと分かった。
「あれれ? 本当だ……。おっかしいなぁ。さっきまではそっくりだと思ってたのに、言われてみるとあんまし似てないね……。あ、あははっ。あははははっ……」
 そして女もようやく間違いに気付いたのか、誤魔化すような乾いた笑いを浮かべていく。
「ちっ、はぁぁぁっ……」
 対するトウセイは、最早怒る気すら起きないらしい。 両目の間に指を当てると、もう当たり前になってきたように深い溜息を吐いていった。
「む……。そういえば、あいつ……。いつの間にいなくなった? また面倒な事に首を突っ込んでなければいいが……」
 しかしそんな時、ふと違和感を覚えた様子で不意に顔を横へ動かしていく。
 次にそのまま辺りを見渡していくも、つい直前まですぐ側にいたはずのサクの姿がどこにもない。
 そこからさらに遠くの方へ視線を向けても、サクの姿はまるで煙のように完全に消えてしまっていた。
 後に残ったのは怪訝そうなトウセイと、先程から気まずそうに笑うしかない正体不明の女しかいない。
 両者にはあまり共通点などは見られないようだが、唯一どちらの体にも赤い紋様が浮かんでいる。 そしてそれはまるで自己主張をするかのように、今もずっと光を放ち続けていた。

「はぁ、はぁ……。っく、ふぅ……。こ、ここまで来れば……。ひとまずは安心していいのかな。ふぅぅ……」
 丁度その頃、一人で休まず逃げ続けた男はすでに人気のない場所に辿り着いていた。
 そこは町の近くにある雑木林の辺りであり、周囲には人家などは一切ない。 必然的に人の姿なども全く見られず、辺りにはただ自然だけが広がっていた。
 空を見れば薄い雲がどこまでも広がり、その向こうからは陽光がわずかに透けているのが確認出来る。
 晴れとも曇りともつかぬ曖昧な天気の下、男は追ってくる者がいないか心配そうに振り返っていく。
 だがどれだけ注意深く見回そうと、そこには男以外に動く者を見つけられなかった。
「はあぁ、怖かった……。でも、彼女を一人で置いてきて本当に大丈夫だったんだろうか。今からでも戻って……。いや、誰かに助けを求めた方がいいのだろうか……?」
 すると男はようやく安堵した様子で目を瞑り、胸の辺りに手を置きながら呼吸を整えていく。
 そうしていると段々と気持ちも落ち着いてきたのか、表情にも余裕が現れていった。
「あれ、なぁんだ。もう、駆けっこはおしまい?」
「へぁっ!? あ、えっと……。あなたは確か、さっきの人の側にいた……」
 しかし直後に背後から何者かに話しかけられると、男はひどく驚いた様子で体をびくつかせる。 そして目を丸くしながら振り向いていくと、視線の先には一人の少年の姿があった。
「ふふ……。そうだね。僕の名はサク。実は君に少し興味があってね。後を追わせてもらったんだ。よろしくね?」
 先程に見た時には誰もいなかったはずの場所に立つのはサクであり、微笑みながらこちらに歩いてくる。 何も含むものなどないかのように話す姿は自然で、敵意などはまるで感じられない。
「あ、これはご丁寧にどうも……。こちらこそよろしくお願いします、はい……」
 それでも男にとってはまだ衝撃が冷めやらぬらしく、狼狽えた様子で何度も頭を下げていく。
 相手はどう見ても年下の子供だというのに、接する態度は本当に低姿勢なものだった。
「えっと、うん……。まぁ、挨拶はこれくらいでいいよね。それよりさ、君の名前を教えてくれない?」
 そうするとサクも少し呆気に取られた様子で、困ったように顔を掻いていく。 ただしそれも短い間だけで、すぐに気を取り直すと男をじっと眺めていった。
 その時の目はいつもと違って興味深そうであり、同時に注意深くもある。
 さらに本当によく観察せねば分からぬ程のわずかな変化だったが、体に纏う雰囲気もわずかに変わっているようだった。
「あぁ、はい。そうですよね。こちらとしても、そうしたいのは山々なのですが……」
「ん? 何か問題でもあるの?」
 とは言え男がそれに気付く様子はなく、その後にはサクも普通に会話を始めていく。
「えぇ。僕には記憶がないんです。気付いた時には何の当てもなく、一人で放浪を続けていて……。でもお金も持っていなくて、この町の近くで行き倒れてしまったんです」
 そう言う男は少し目を伏せ、曇りがちな顔からはあまり自信が感じられない。 どうやら本当に昔の事を思い出せないのか、自分でもどこか歯痒そうにしていた。
「そして、その時はとにかくお腹が空いていて……。もう駄目かと思っていたら、偶然にもそこを通りかかったメイナンさんに助けられたんです」
 だがそれからすぐに口元を緩めると、どこか嬉しそうな表情を向けてくる。
「ふーん。それって、もしかしてさっき一緒にいた人?」
「はい。彼女は少し言葉や態度が乱暴ですが、根はとても優しい人です。見ず知らずの僕なんて、そのまま見捨てていっても良かったはずなのに……」
 それを見たサクが不思議そうに顔を傾げていると、男はわずかに視線を上向けていく。
「何の見返りも期待せず、自宅まで招いて食事をご馳走してくれて……。その上、独り立ち出来るようになるまで家にいていいとまで言ってくれて……」
 見つめる遠くには雄大な空が静かに広がり、そこを眺める男の声も深く落ち着いたものとなっている。
「それにですね。名前も思い出せない僕にそれでは不便だろうという事で、ゲンネイという名前まで用意してくれたんです」
 ゆっくりと語り続けるその姿にはおかしな様子などまるでなく、一見するとどこにでもいるごく普通な青年のようだった。
「メイナンさんの所にお世話になるまでは自分という存在は本当に曖昧で、希薄でしたが……。おかげでようやく僕は自分というものを確立出来たように思えます」
 やがて視線を下に戻した際には表情を緩め、どこか満足そうに言葉を紡ぎ続けていく。
「だから本当の名ではないにせよ、今の僕は……。そう、名を名乗るならゲンネイというのでしょうね」
 その気性はやや大人しそうにも見えるが、数少ない思い出について語る時は本当に幸せそうな表情を浮かべていた。


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