第6話 素体


その頃、ツクハは無言で歩き出そうとしていたが何故かすぐに立ち止まってしまう。
「ロウ……」
 悲しそうな顔は正面に向けられ、その手は所在なさげに胸の辺りに押し当てられていた。
「姉さん、何をするつもりなんだ。この前、せっかく会えたのにいきなりいなくなって。そうしたと思ったら、今度はこんな所に急に現れて。本当にどういう事なんだよ……」
 それに相対するロウは真剣そのものであり、冷静さを保ちつつも非常に強い意志の内包を窺わせる。
「……ただ、取り戻したいものがあるだけよ。実はね。その人はかつて、私の前に闇龍と同化していたの」
 一方でツクハはどこかそっけない態度を見せ、目を合わせないように視線を逸らしていく。 顔には虚ろな目や寂しげに微笑む口元があり、生気のない部位しか見当たらない。
「でも同化を解いた時に、龍の力の一部である紋様が体に残ってしまって。すぐに紋様を回収しようとしたけれど、彼はすでに行方をくらませていた」
 それからゆっくりと目を閉じると、思い出すように少しずつ語っていく。 ロウに対する真摯な態度から察するに、嘘などをついている様子はない。
「じ、じゃあ……。僕のこの力は龍のもの……? そんなの、知らなかった……。いや、覚えていなかったのか……?」
 だがそうだからこそ、それを聞くゲンネイは余計に強い衝撃を受けている。
 声を震わせながら自身の両腕へ目をやると、そこにある紋様からは未だに黒い煙のようなものが立ち昇っていた。
「そう、そしてあの頃からずっと探していたの。かつて失くした自分の一部を……。だから今日、それを返してもらう。用はそれだけ。本当に単純な事なのよ」
 ツクハもそれを見つめているが声に感情は含まれておらず、抑揚もないためにどこか違和感を覚える。
 虚ろな表情や雰囲気も合わさると、その様子はまるでツクハではない何かが話しているかのようだった。
「でも、だからって……。そのためだけに、こんな事をしたのか? 周りに人がいなかったから良かったようなものの、こんなに滅茶苦茶にして……」
 しかしロウはそんな事より、話している事自体が理解出来ないらしい。 話ながら悲痛な表情を浮かべると、辺りをゆっくりと見回していく。
 周囲の地形は先程の戦闘の影響か大きく削れており、元の面影などほとんど見られなくなっている。
 すぐ側には傷ついたサクやゲンネイもおり、その体には現在も複数の傷跡が痛々しく残っていた。
「どうしてだよ。どうして龍はそんな簡単に身勝手に振る舞えるんだ。そんなだから、師匠だって……。あんな、事に……」
 それらを見ていると以前の出来事を思い出し、ふつふつと憤りが湧いてきたらしい。 悔しそうな表情で目を伏せると、強く力を込めて手を握り締めていく。
 思えばロウはこれまでツクハのようになりたいと考え、常に誰かのために行動するようにしてきた。
 だがだからこそ周囲の何もかもを意に介さず、自らの事情しか考慮しない龍が何より許せないものに映るのかもしれない。
「ロウ……。どうしたの。そんなに悲しそうな顔をして。もしかして、ジュカクさんに何かあったの……?」
「師匠は、もういない。もう、この世にいないんだ。土龍に体を操られて、それで……。俺を、助けようとして……」
 そんな姿を見るとツクハも次第に動揺を隠せなくなり、応じるロウは何度も頷きながら顔を俯かせていった。
「もうこれ以上誰かが犠牲になったり、何かを失ったりするなんてたくさんだ。人は……。いや、世界は龍だけのものなんかじゃないんだぞ……!」
 次にロウは強く感情を込めてそう叫ぶと、ツクハの後方に控える闇龍を睨み付けていく。
 ただし闇龍の方は睨み返す事すらせず、冷酷な表情はそもそも興味すらないかのようだった。
「いいや、違うな。少なくとも、それに関しては間違いなく龍のものだ。何故ならそれは、そもそも人ではない。正式名称は特殊素材形成自律生体。開発時の略称は素体だ」
 そしてその態度は何の揺らぎも見せず、当初から一貫したものを決め込んでいる。
 物を見定めるかのように目を細めた先には、それを聞いて表情を曇らせるツクハの姿があった。
「な、何だって……?」
 一方でロウは決めつけるような言葉の意味がよく分からず、怪訝そうに顔をしかめるしかない。
「素体が研究された目的の一つは、龍との同化に必要となる消耗品の肉体。言わば人の代替品として作られたという事だな」
 すると闇龍は待っていたかのように口を開き、歪な表情を見せながらゲンネイの方へ視線を移していった。
 その嘲るような言葉を聞くと、その場にいる誰もが等しく強い衝撃を受けていく。
「……!」
 特にゲンネイは口を開きっ放しにしたまま、まるで世界が終わったかのように愕然としていた。
「しかもそれはまだ未完成の代物。不完全だからこそ簡単に記憶を失う。人を超えた己の身体能力を制御し切れず、自分で自分を壊してしまう」
 それからも闇龍は得意げに語り、心底面白そうに笑っている。
 するとその内に、話題の中心であるゲンネイの肉体にはとある変化が起こっていった。
「ぐ、ぅ……」
 当人はすでに自我を取り戻していたようだが、同時に体を襲う突然の痛みに顔をしかめている。
 それから訳が分からぬまま自分の体へ目を向けると、そこでは何か所もの部分が裂けて少なくない出血が起こっていた。
 とは言えその傷は誰かにつけられたものではなく、肉体が酷使され過ぎた事が原因で出来たものに見える。
 そして目立つ傷のある部位の他にも全身をひどい倦怠感が駆け巡り、いつの間にか体をわずかに動くのも難しくなっていた。
「……」
 そうなると闇龍に言われた事が自然と頭の中で反響し、ゲンネイはさらなる困難に苛まれて呆然とするしかない。
「どうだ、これで分かっただろう。それは単なる物に過ぎない。龍の、いや俺の所有物なんだよ」
 闇龍はそんな姿を頭上から堂々と見下ろし、あらかじめ決まっていた事実を改めて宣言するように言い放つ。
「ぅ……。そ、それは違う……」
 しかし次の瞬間には、それに言い返すように弱々しい声が上がっていく。
「何……?」
 すると闇龍は途端に不機嫌そうに顔を歪ませ、目を細めながら眼下を睨み付けていった。
「僕は人だ。名前だってある。僕は、ゲンネイだ……」
 それでもゲンネイは毅然とした態度を見せ、傷ついた体を押さえながら何とか立ち上がろうとしている。
 痛みに顔をしかめ、足はふらついているがその目は闇龍の事を一心不乱に眺め続けていた。
「違うな、お前はただの出来損ないだ。お前程度、本来なら同化する価値すらなかった。だから俺はあの時、お前を捨てるという選択をしたんだ」
 対する闇龍は笑みを浮かべているが、それはあくまで懸命な相手を嘲るためのものである。
「う、うぁ……」
 一方でゲンネイは闇龍と相対しているだけで、ひどい衝撃に晒されているかのようだった。 頭を抱えながら苦しみ、手足をがくがくと震わせながら地面に膝をついていく。
「ふん、しぶといな……。いい加減に認めろ。お前には家族も友人も、本当の名や記憶すらない。何も持たぬ、ただの作り物でしかない」
 闇龍はその姿を見ると飽き飽きしたように視線を外し、吐き捨てるように呟いていった。
「だがその代わりに、それはお前が素体であるという事の確実な証明となる。自覚するがいい。お前は龍という存在を収めるためだけの入れ物に過ぎないんだよ」
 そして有無を言わせぬ物言いのまま、耗弱した相手をさらに追い詰めようとする。 目から放つ視線には蔑むような冷たいものが含まれ、それを受けると心そのものがどうにかなってしまいそうだった。
「あ、うぁ……。あぁっ……」
 その真正面にいるゲンネイはまともに目が合い、心を砕かれるに等しい衝撃を受けたらしい。 顔面は血の気が失せて蒼白となり、思考は完全に停止して何も出来なくなってしまう。
「さぁ、いつまでそこにいるつもりだ。さっさとこっちへ来るがいい……!」
 次に闇龍は強い意志を伴った声を発すると、見る者の息すら止めるような勢いの威圧感を放っていった。
「だ、め……。そ、れは……。あ、あぁ……。あ、ぅ……」
 ゲンネイはそれにまだわずかに抵抗しようとしていたが、やがて様子が変わってくる。 まずその目は闇龍の瞳に魅入られるようにして、徐々に虚ろになっていった。
「は、い……」
 続けて顔からは表情が消え去り、素直に頷いた後には糸で引っ張られたかのように姿勢を正す。
 その様は主の命令を忠実に聞き入れる従者のようであり、そのまま闇龍の方へ向かって歩き出していく。
「ちょっと、どうしたの!?」
 それを見たメイナンはつい先程までの震えなど忘れ、驚きのあまり大きな声を上げていった。
「待ってくれ! 闇龍の命令なんて聞く必要はない……!」
 同調するようにロウも声を張り上げると、遠ざかりつつあった肩に手をかけようとする。
「……」
 だがゲンネイはそれら一切に関心を寄せず、むしろ邪魔だとでも言わんばかりに触れてきた手を振り払う。
 虚ろな目に映るのはただ闇龍のみで、その両腕では今までにない程に黒い紋様が強く光を放っている。
「……!」
 それを見たロウは明らかに異様な姿に圧倒されると、それ以上は何も出来ずに思わず手を引いてしまう。
 一方でゲンネイはそれを置き去りにすると、再び闇龍の方へと自らの意思で向かい始めていった。
「どうして……。さっきまではあんなに拒んでいたのに……」
「素体は龍の命令に逆らえない。あらかじめ、そう作られているのよ……」
 それを見たロウの怪訝そうな呟きに対し、ツクハは静かに答えていく。 ただしその顔はどこか苦しげで、余人には知れぬ大きな悩みでも抱えているかのようだった。
「え……? そ、そうなのか?」
 するとロウは困惑したようにツクハの方を向くも、その後に反応は返ってこない。
「……」
 一方でゲンネイは闇龍の少し前方に辿り着くと、そこで規則正しく動きを停止させる。
 そこには今まで散々見せていた怯えや恐怖といったものがまるでなく、むしろ普通の感情すらなかった。
 疲れ切った表情は何も語らず、無機質な姿を晒して立ち尽くしている。 その様はまるで、生贄にされるのを自ら進んで待ち続けているかのようだった。


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