第6話 素体


「ぐ、がっ……。う、ぐぐぅぅ……」
 一方で視線の先にいたゲンネイの様子はこれまでと違い、どこかおかしくなっているように見える。 口からは苦しそうな声を漏らすと、痛みに顔をしかめながら自らの腕を強く押さえ付けていく。
 そこには見るからに不気味な光を放つ黒い紋様があり、ゲンネイに対してより強く影響を与えようとしているかのようだった。
「うあっ……。あおあぁぁ……!」
 続けてゲンネイがさらに苦悶の声を上げると、体を覆っていた黒い闇が全て剥がれ落ちていく。
 同時に周囲に存在していた黒い粒子も一斉に動き出すと、それら全ては頭上へと集まっていった。
 そして一点に留まった後は刻々と形を変えつつ、以降も紋様を通してゲンネイから力そのものを奪い取っていく。
 それはまるで負の感情を糧にしているかの如く、ゲンネイが苦しむ程に存在を確かなものとしていった。
「あっ、うっ……」
 やがてゲンネイは闇を全て放出すると紋様を失い、力尽きたかのように地面に膝をついていく。
 それとは対照的に頭上では全ての闇を吸収し終え、何かがその形を完成させたようだった。
 地上に存在するあらゆる生物とかけ離れたその形は、光さえ通さないような純粋な黒色と相まって本当に異様な存在として宙に浮いている。
 周囲に存在する青空や樹木の色とは明らかに違う漆黒に包まれた姿は、まさに黒い龍と言って差し支えないものだった。
「え、ぇ……? 何、あれ……」
 そんなものを見上げるサクは見開いた目を離せず、ただおろおろとするしかない。
 一方で黒い龍は辺りをひとしきり見回すように旋回すると、直後にサクを見つけたようだった。
「……」
 それからわずかに口元を歪ませたかと思うと、黒い龍はすぐに大きく口を開きながら動き出していく。
 その速度は物理法則を完全に無視したかのような速さで、木の紋様を光らせる暇すらない程だった。
「う、うわぁ……! 急に何なんだよぉ!」
 サクは飛来する相手に思わず怯み、防御など間に合わないと悟った後は少しでも身を守ろうと身を固くしていく。
 このままでは両者が衝突するのは火を見るよりも明らかだと思われたが、次の瞬間にはそれより早く何かが飛んできた。
 両者の間に割り込むように現れてきたのは赤い線であり、しかもそれは通常のものとは少し違う。 いくつもの線を束ねたそれはかなり太く、湾曲しているために刃のような形に見える。
 やがてそれはサクまでの行く手を阻むかのように、黒い龍と正面からぶつかっていく。
 すると瞬時に大きな爆発が引き起こされ、空中では凄まじい熱量が一気に散っていった。
 かなりの衝撃を受けると黒い龍は霧散するように分解し、その存在など初めからなかったかのようにいなくなってしまう。
「この火は……。まさか……。トウセイ、なの……?」
 目まぐるしい一連の展開を目撃したサクは直後にそう呟くと、驚いた顔で振り返っていく。
 次に目に入ってきたのは丁度、刀を振り切った体勢で止まっているトウセイの姿だった。 その腕には赤い光を放つ紋様があり、これまでしばらく目の当たりにしてきた黒い紋様の光とは真逆の暖かさを発しているようにも見える。
「ふん……」
 一方でサクの窮地を救った当人は特に誇る事もせず、むしろ不機嫌そうに刀を下げていった。
「あ、あれを見ろ! あそこにいるのはサクじゃないか……!?」
「は、はい! 一体、どうしたんでしょう……。サ、サク君! 大丈夫ですか……!?」
 それからほとんど間を置かず、すぐ後ろからは逼迫した様子のロウやセンカが顔を出してくる。
 どうやら体の各所に傷を作ったまま座り込むサクを見て、かなり危うい状況なのかもしれないと思ったらしい。
 二人はそのまま勢いよく駆け込んでくると、かなり心配した様子でサクの方を眺めていった。
「あはは、もう……。二人共、少し大げさなんだから……。そんなにひどい怪我はしていないし、見た目よりは元気だよ」
 対するサクは苦笑しながら服を叩き、土埃を落としながら立ち上がっていく。 口にした通りにその体には掠り傷くらいしか見られず、本当に問題はなさそうだった。
「そ、そうなんですか。それは良かったです。あ……。そういえば、サク君。ここで何が起きたんですか? 私達には正直、何が何やら……」
 センカはそれを聞くと胸を撫で下ろし、その後に改めて周囲を見渡していく。
 そうするとすぐ近くには大剣を持つツクハの姿が目立ち、そこから少し離れた位置ではゲンネイが未だに朦朧としている。
 ひどく煩雑とした上に複雑そうな状況は、一目見ただけではとても理解出来そうにない。
「あー……。うん、えっとね……。それがさ、うまく説明しようにも何から話せばいいのやら……」
「は、はぁ……。そうですか。じゃあ、そもそもサク君はここに何をしに来たんです? トウセイさんと一緒じゃなかったんですか?」
「あー、うん。だからそういうのを話していくと、時間がかかりそうなんだよね。ねぇ、また今度じゃ駄目?」
 サクは怪訝そうなセンカに対し、自身も少し困惑した様子で顔を傾げている。 その上で答えを返そうとしているが、まともなものは一向に返ってこない。
 誤魔化す事しか頭にないのか口調も自然と早口になっており、目もあからさまなくらいに逸らしているような状態だった。
「……サク君」
 するとそれをじっと見ていたセンカの顔が少しずつ引き締まり、声色も真剣さを増していく。
 そしていきなり顔を近づけたかと思うと、何かを疑うようにじっと目を細めていった。
「は、はい……」
 対するサクは言い知れぬ迫力を受け、少し怯えるように全身を強張らせてしまう。
「見知らぬ土地に来てはしゃぐ気持ちは分からないでもないですが、あまり勝手な行動は取らないでください。一体どれだけ、皆に心配をかければ気が済むんです……!」
 だが直後にセンカの顔は一転し、泣きそうな程に表情を歪めていく。 本人に自覚はなさそうだが、その言葉はサクの世話をしていたケイサがかつて口にしたものと似ているようだった。
「そうやって一人で好きに動いて、またこんな危険な目にあって……! 昨日、あれだけお説教をしたばかりじゃないですか。もう忘れてしまったんですか……!」
 さらにセンカは子供が駄々をこねるように声を張り上げると、サクの肩を掴んで体をどんどん揺らしていく。
「う、あぅっ……。いや、そう簡単には忘れられないって……。な、何しろっ……。ほ、ほとんど徹夜だったし……。あれのおかげで、今日は寝不足気味なんだからっ……」
 自らの頭を激しく揺さぶられるサクをよく見ると、その目元には確かにくまがあった。
「そ、それはサク君が言い訳ばかりで全然反省していなくて……。おまけに私が何か言う度に変に茶々を入れるからじゃないですか!」
 一方でセンカは不満げに頬を膨らませ、怒りを発散させるかのようになおも体を揺らしていく。
「もう、本当にセンカは大げさなんだからっ。というか、別に皆が心配している訳じゃないでしょ? トウセイとかは僕の事なんて助けないって、はっきり言ってたし……」
 されるがままとなっていたサクも今度はたまらず逃げ出し、何とか怒りの矛先を逸らそうとしていった。
「何を言っているんです? そんな事あるはずじゃないですか。トウセイさんはサク君の姿を見つけるや否や、真っ先に走り出していったんですよ!」
 しかしそれを聞くセンカの顔はきょとんとなり、その後には自信たっぷりに言い切られる。
「え。本当、なの……?」
 対するサクは当惑した様子で、思わず目を見開くと視線を滑らせていく。
「勝手に勘違いするな。俺はただ……。あの見るからに龍の気配を漂わせる、怪しい奴を倒したかっただけだ」
 その先ではトウセイが一人で佇み、もう形の残っていない黒い龍の方を眺めていた。 静かに呟く表情はよく窺えないが、何となく気恥ずかしいのか決してこちらを見ようとはしない。
「うーん。ねぇ、本人はあぁ言っているけれど……?」
「いいえ。トウセイさんは少し、素直になれないだけですよ。心の底ではサク君の事を心配しているはずです。ね、そうですよね?」
 そのためにサクは疑問の表情を浮かべているが、センカはまだ自信たっぷりな様子でいる。
「まだ言うか。違うと言っているだろう……」
 トウセイの方はといえば相変わらず不機嫌そうだが、あまりにもセンカが無邪気なために強く言い返せないだけなのかもしれない。
「あははっ、トウセイさんったら。別に恥ずかしがらないでもいいですよ」
「いや、だからな……」
「龍人さんの所へ向かった時だってあまり気にしてない風でしたけれど、本当はサク君を探しに行こうとしていたんですよね?」
 センカはそんなトウセイに近寄っていくと、口元に手を添えながら小声で話しかけていく。
「何……?」
「大丈夫。いつもはそっけない態度が多いですが……。私にはトウセイさんの本当の気持ち、ちゃ〜んと分かってますから。うふふっ……」
 対するトウセイが怪訝そうに眉間の間にしわを寄せる中、センカはそんな姿を微笑ましそうにずっと眺めている。
「はぁ……。もういい。とにかく、お前は黙っていろ……」
 一方でうんざりとした様子のトウセイは、いつまでも笑みを絶やさないセンカから露骨に顔を背けていく。
 そしてもう話すのも嫌なように深い溜息をつくが、センカは特に気にしていない。 サクを叱る事も頭の隅に行ってしまったのか、それからも上機嫌を保ち続けていた。

「ゲンネイ……。あんた一体、どうしちゃったのさ。ここで、何があったんだい……」
 それと時を同じくする頃、メイナンはトウセイ達とは真逆と言っていいくらいに落ち込んでいた。
 視線の先にはひどく変わり果てた知り合いの姿があり、それを見るとますます困惑したように立ち尽くしている。
「あ……。あれは姉さん、だよな……?」
 ロウもそれと同じく心の底から驚愕した様子で、目を見開いたまま視線の先を凝視し続けていた。
 やがて二人がどちらも行動を起こせぬままでいると、ふとその場にあって唯一動き出す者が出てくる。
「……」
 ゆっくりと立ち上がってから歩き出したのはゲンネイであり、その体にはまだ紋様がじんわりと光を放ちながら残っていた。 その目は前方にいるツクハの首筋の紋様を睨むように眺め、ただそこへ向かうために足を動かし続けていく。
 すでに先程までの荒々しい勢いなどはなくなっているが、それが逆に恐ろしいとさえ思えるような不気味さがその姿にはあった。


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