第6話 素体


「さぁ、さぁ! ほら、急いでください。お二人共!」
 とある宿場町の一角にある小さな宿屋の二階では、朝からセンカの弾む声が響いている。
「あ、うん……。でもさ、少し待ってよ。センカ……。こっちは寝起きなんだよ……?」
 すると直後にはその声に促されるようにして、戸惑った様子のサクが廊下に出てきた。
 そしてそのすぐ後ろからは、同じようにトウセイが目の辺りを押さえながら姿を現す。
「いいえ、待ちませんよ! ほら、いつまでも寝ぼけていないでしゃきっとしてください!」
 一方でセンカはなおも華やいだ声を上げながら、はしゃいだように廊下を進んでいく。
「うぅん……。でもさ、本当にロウが目を覚ましたの?」
 対するサクはその姿を見ながら寝ぼけ眼を擦っており、側にいるトウセイも同じようにまだ眠そうにしていた。
「えぇ。間違いありません。本当についさっき起きられたんですよ。さぁ、早くこちらに来てください!」
 次にセンカは眩しい笑顔を見せながら振り返ると、二人を急かした後はさっさとある部屋へ向かっていってしまう。
 いつになく軽やかな足取りなどを見ると、嬉しさのあまり空へと飛び上がってしまうのではないかと思う程だった。
「はぁ……。昨日は随分と落ち込んでいたのに、一転してあのはしゃぎようとは……。全く、仕方のない奴だな……」
 そしてその勢いを見るとトウセイも呆れたように呟き、目を瞑りながら頭を掻いていく。
「そうだね。ロウもセンカも……。本当に、どっちもお騒がせ者だよ」
 サクも同調するように頷くがその顔は確かに微笑んでおり、声にもどことなく明るさが混じっていた。
 一方でトウセイはお騒がせ者という言葉を聞いた瞬間、何か言いたそうに顔をしかめる。
 それでも特に何かを言う事もなく、やがて二人がそのまま進んでいく。
 すると部屋の前ではセンカが楽しげな様子で待ち構え、サクやトウセイの到来に合わせて襖に手をかけていった。
「ロウさん、まだ起きられていますか? お二人を連れてきましたよ」
 そしてそれから一気に襖を開いていくと、朗らかな表情を浮かべながら最初に部屋へ足を踏み入れていく。
「あ、へぇ。疑った訳じゃないけれど、本当に起きてる。ねぇ、大丈夫? どこか痛い所とかない?」
 すぐ後にサクも続き、布団で仰向けに寝ているロウを見ると少し驚いた表情を浮かべていった。
「……無事そうだな」
 直後に現れたトウセイはいつものように不遜な表情を浮かべ、室内を窺うようにして入ってくる。
 そしてロウを一瞥した後は、そこから少し離れて部屋の隅に座り込んでいった。
「ふふっ、ほら。私の言った通りだったじゃないですか。昨晩は光龍に寝るように言われたけれど、やっぱりちゃんと待っていて良かった……」
 その後もセンカは口元に手を添えつつ、得意げな笑みを浮かべている。 ロウの意識が戻ったのが余程嬉しいのか、まだ気分の高揚は続いているらしい。
「あぁ、皆……」
 そんな時、一気に増した騒がしさにつられたのかロウが体を起こそうとしていた。 それでもまだ体が痛むのか、その顔はわずかにしかめられている。
「あ、もう。無理しちゃ駄目だよ、ちゃんと寝ていないと」
「そうですよ、ロウさん。そんな事をされていては、治るものも治らなくなっちゃいます」
 するとそれを見たサクとセンカは驚き、慌てて制止に入っていった。
 一方でトウセイだけは壁に背を預けたままで、そんな光景をただじっと眺めている。
「あぁ、分かったよ……。それじゃあ、そうさせてもらおうかな……」
 そしてロウも過剰な程に心配されている事に苦笑しつつ、また元の状態へと戻っていく。
 センカはそれを確認すると丁寧に布団をかけ直し、まだわずかに乱れた所もきちんと整えていった。
「でもさ、一時はどうなるかと思ったけれど、ちゃんと気がついて良かったよねー。あ、お医者さんは何か言ってたの?」
「はい。昨日診てもらった時は、特に問題はないと仰られていました。深刻な怪我などもなく、このまましばらく安静にしていればすぐ元気になるそうです」
 次にサクがその場に座り直しながら尋ねると、センカは嬉しそうに手を合わせながら微笑んでいく。
「ついでに以前に受けた傷なども診てもらいましたが、それも心配ないみたいです。お医者さんもロウさんの体の丈夫さに驚かれていましたよ」
 それからもセンカが話していく通り、ロウは外見上は特に問題はないように見える。
 だがまだどこか元気がなく、精神的に疲弊しているように思える部分もあった。
 それでもあまり心配をかけまいとしているのか、ロウは少しやつれた顔に微笑みを浮かべている。
「へぇ、そうなんだ。じゃあもう、本当に大丈夫なんだね。良かった、良かった! 僕もわざわざ、お医者さんを呼びに行った甲斐があったよ!」
 一方ですでに楽観視し始めているサクやセンカなどは、それくらいの細かな変化は気付いていないようだった。
「……」
 その場で気付いている可能性があるとすれば、離れた位置から眺めていたトウセイだけのように見える。
「……なぁ、センカ」
 そんな時、ロウはふと真面目な表情でセンカを見上げていった。
「あ、はい。どうされました? どこか体が痛みます? それともお水とか、食べ物ですか? 言ってくだされば、好きなものをご用意しますよ」
 それに気付いたセンカは、ロウの顔を覗き込むとさらに世話を焼こうとする。
「あれから、姉さんはどうしたのかな?」
 しかしロウはそれに構わず、わずかに表情を暗くして言葉を続けていった。
「ぁ……」
 対するセンカはその質問を聞いた途端、気まずそうに黙ってしまう。
 その反応はサクも同じようで、先程までの明るい表情はどこかに消えて俯いてしまった。
 もちろんトウセイも何かを言ったりする事もなく、誰もが口をつぐんだかのように言葉を発しなくなっていく。
 そのせいで辺りには先程までのような明るい雰囲気はなくなり、逆に気まずい空気が流れ出していった。
「なぁ。あの時、俺と一緒にいた人はどこに行ったんだ?」
 それでもロウはなお、どうしても知りたい様子で問いを繰り返す。 その顔は切実なもので、痛みを堪えつつも上半身を起こし始めてさえいた。
「ロウさん、それは。その……。ツクハさんはもう、いないんです」
 センカはその姿を見ると、初めは重苦しく閉じていた口を躊躇いがちに開いていく。 その表情は辛そうで、まるで自分の事のように深刻に感じている様子だった。
「……ぇ? どういう事なんだ?」
 一方でロウはその言葉を聞いても、すぐには理解が出来ないでいる。 呆けたような顔をしたまま、目も合わせてこないセンカを再度見上げていった。
「あの方は……。ロウさんが倒れた後、どこかへ行ってしまわれて……。私達には追う余裕もなく、今どこにいるのかはまるで分からないんです」
 応じるセンカは先程からずっと伝え辛そうに視線を泳がせ、それでも最後まで報告を続けていく。
 他の二人はその間に一切口を挟まず、事の成り行きを見守りながらじっと黙っている。
 そんな中で肝心のロウは、ずっと追い求めていた存在がいなくなったという事実に当初は無反応を貫いていた。 その様はまるで現実を思い知るのを拒むかのようであり、それはセンカが口を閉じるまで続いていく。
 だが他の三人の様子や聞いた話、そして自分が覚えている分の記憶から段々と事態を理解しつつあるようだった。
「そうか……」
 やがて目を閉じて力なく呟くと、ロウは体を元に戻して虚ろな目で天井を見上げていく。
「すみません……」
 センカはそれを見ると、非はないにも関わらず申し訳なさそうに頭を下げていった。
 それでもその誠意や気遣う声、あるいは視線なども天井をぼうっと見つめるロウには届いていないように見える。
「ねぇ、ロウ。君のお姉さんはあの時、龍に……。その、さ……」
 そんな時、今まで黙っていたサクが目を伏せながら遠慮がちに話しかけていった。
「あぁ、分かっている」
 ロウはそれを聞くとすぐ、言わんとしている事に予想がついたらしい。 その体や目はほとんど微動だにせず、静かな声には抑揚もなくなっていた。
「え?」
「あの時、俺にはまだ少し意識が残っていた。でも何も出来なかった。俺の中には別のものがいたんだ。暗くて、黒い何かが……。結局、俺はあれに逆らえなかった」
 対するサクは思わず怪訝そうな反応を浮かべるが、ロウは特に気にせずに未だに天井を見つめている。 話す内容もただ淡々としていて、あの時に起きた事実のみが話されている。
 感情の込められていない声や表情を見聞きするセンカやサクは、少し戸惑った様子で疑問を挟む余地もないようだった。
「でも、姉さんがあんな事を平気でする訳がない。きっとあの龍が何かをしたんだ。だから、姉さんは……」
 一方でロウはそう言いつつ、後悔するように目を閉じていく。 力の込められた手は強く握り締められ、それを見ると確かに体の調子は戻ってきているように見える。
 しかしそれを見つめるセンカは素直に喜べず、ずっと表情を曇らせていた。
「……」
 それからほとんど間を置かず、不意に立ち上がったトウセイは真っ直ぐに向かってくる。
 そして訝しげな視線を送ってくるサクやセンカの事など気にせず、そのまま布団の側にしゃがみ込んでいった。
「一つ、聞かせろ。お前はこれからどうする?」
 その目からは射抜くかのような鋭い視線が放たれ、声も険しさを直接ぶつけるかのようである。
「え……。あ、あぁ……」
 対するロウはその真剣さに少し驚きつつ、呆然としたまま少し考え込んでいった。


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