第5話 龍人


「全く……。能天気な奴等だな。自分だけ真剣でいるのが馬鹿馬鹿しくなってくる……」
 それを横目にしながらも、トウセイは警戒を怠らない。 四人の中で唯一、緊張を保ったまま龍人の事をずっと探していた。
 その注意は四方に向けられ、いつ龍人が出てきてもいいように刀には手がかけられている。
「あ、そういえばいつ頃になったら化物は出るんだ? 詳しい時間とかも聞いていたんだよな?」
「そうだね。場所はこの辺りでいいはずだし……。時間帯も多分、合ってるはず。これで出てこないなら、運が悪かったと思うしかないんじゃない?」
 一方でロウが思い出したように言うと、サクも口元に手を当てながら記憶を辿っていく。
「じゃあ、とりあえず待つしかないか……」
「え、ここでですか……? やっぱり明日まで待って、もう少しちゃんと情報を集めてきた方がいいのではないでしょうか……」
「嫌なら帰れ。だが俺は一人でもここに残る……」
 それを聞くとロウやセンカは少し表情を曇らせるが、やはりトウセイは一人だけ静かに意気込んでいた。
 そしてそのやる気は見事に結実したのか、直後には鋭い目付きを周囲へと巡らせていく。
「いや、どうやら帰る必要はなさそうだ。何かの、気配を感じる……」
 すでにどこかからただならぬ存在を感知しているのか、その表情はこれまでになく険しさを増していた。
「何だって……!? まさか化物が本当に現れたのか? でも、一体どこに……」
「うーんと……。駄目です。全然、分かりません……。サク君はどうですか?」
「えぇー? そんなの分かる訳ないよ。案外トウセイの勘違いで、犬とか猫だったりするんじゃない?」
 ただし周囲は一見すると何の変哲もなく、他の三人は驚いたり困惑した様子を隠せない。
 そんな中でトウセイだけはそこからあまり離れない所にある、とあるぼろぼろの廃屋に注目しているようだった。
 そこには屋根や壁などの所々に穴が開き、人が住んでいる様子もない。 年月が経ち、風雨に晒された廃屋は今にも倒壊しそうなくらいだった。
 そして何の用途としても使われている様子のない建物は、しんと静まり返っている。
 だがそこにはトウセイの予測通りに、何かが潜んでいたようだった。
 次の瞬間には突然、廃屋の壁を突き破って何かが飛び出してくる。
「ぁ……。あれは、龍人……!?」
 ロウはそれを見た瞬間に目を丸くし、驚きの声を上げていく。
 視線の先にいたのは、先日に遭遇した化物とよく似た外見をしていた。 片方の腕だけが大きく肥大しており、それは明らかに人のものではない。
 さらにその化物は、どうやら怪我をしているようだった。
「ぐ、うぅぅぅ……」
 その全身には無数の傷があり、所々から血も垂れ流している。
 そして明らかに誰かに襲われた様子の化物は、何故かロウ達の事は気にせずにただ廃屋の方だけを睨みつけていた。
「うん……? 何だ?」
 それに気付いたロウ達は、視線を追って廃屋の方を見ていく。
 すると次の瞬間、その中からは何かがゆっくりと歩いて出てきた。
「!?」
 ロウ達は新たに現れた何者かの姿を目の当たりにすると、さらなる驚きのあまり声を失う。
 同時に全員の目は今までになく大きく見開かれ、かなりの動揺がはっきりと示されていた。
「嘘……」
 中でもセンカは思わず口に手を当て、そう呟いている。 その視線の先にいたのは、今まで見た事もないような存だった。
 薄暗い廃屋の中から進み出て、淡い月の光を全身に浴びているのは龍人である。
 ただしそれはこれまでにロウ達が目にしてきた、腕だけが龍のものである化物とは決定的に違う。
 その龍人は頭や腕など、目に付く大部分が龍のものと置き換わっていた。 わずかに体の一部などには、元々が人であるのだろうと思わせる部分も残ってはいる。
 それでも人とは比べ物にならない程に隆々とした筋骨に覆われ、纏う雰囲気も尋常のものではない。
 さらに遠目からでもはっきりと分かるくらい、立派な装束に身を包む様は実に堂々としていた。
 それはぼろぼろの衣服を着て、息を切らせながら怯えた様子でいる化物とはまるで違う。
 あまりにも人離れしたその外見は、他のどの生物とも一線を画す存在かのようだった。
「何だ、あれ……。あれも龍人なのか……?」
「いや……。詳しくは分からんが、あれは俺達が戦った化物とは別物だ。こうして離れた場所からでも、はっきりと分かる……」
 化物とは違って本当の龍人とも言える姿を見ると、ロウ達は何も出来ずに見ている事しか出来ない。
 それはトウセイも同様であり、刀を構えたままで体は固まってしまっていた。
「うん、そう。あれこそが龍人だよ。わずかな部分にしか龍を宿せない化物風情とは違う……。人を超え、より高みへと昇った存在……」
 一方のサクは無闇に動く事はなくとも、自然と体は前傾姿勢となっている。 目は興味深そうに輝き、まるで龍人の姿に魅入っているかのようだった。
「……」
 やがてそれまではただ佇むだけだった龍人は、その直後に何を思ったのか突然走り出していく。
 その速度は雷が轟くかのように圧倒的で、相手が気付く頃にはその距離はほとんど詰まっていた。
「うぅぁぁぁ……」
 対する化物は何とか龍人から逃れようと後退しつつ暴れるが、それは全く意味を持たない。
 いくら化物が強靭な腕を振るおうと、龍人にはかすりもしなかった。 全ての攻撃を軽く避けながら、冷静に化物の動きを見切っていく。
 そして化物が大きく腕を振るい、その後に出来た致命的な隙を狙って攻勢に出ていった。
 拳を強く握り締めると同時にその腕は膨れ上がり、次の瞬間には化物に向けて力強く振るっていく。
 一切の迷いや躊躇なく振るわれたそれは、そのまま見事に化物の腹に食い込んでいった。
「がはっ……! あ、うぐぅっ……」
 するとそのたった一撃で化物は悶絶し、息を吐き切って前に倒れ込んでいく。
 地面に落ちた化物は何度か派手に痙攣を繰り返すと、その場で意識を失っていってしまった。
「……」
 それから龍人は手応えを確かめるように拳を開き、無言のまま化物を見下ろす。
 ロウ達が言葉を失って辺りが静寂に包まれる中、龍人はただ悠然とその場に立ち続けていた。
「く……」
 一方でトウセイは絶対的な力を前に、焦燥の表情を浮かべると口を噛んでいく。
 それは相手との力量の差を歯痒く思っているかのようだったが、やがて全身に力を込めると重い足取りながら何とか動き出していった。
 ただしどう見ても敵いそうにない相手を前に、その体はかなり強張っている。 それでも意地でも止まらないと心に決めているのか、龍人へと向かう足は決して止まる事はない。
「トウセイ!」
 ロウはその姿に気付くと無謀としか思えない行動を止めようと、手を伸ばしながら大きな声を上げていく。
 しかしトウセイは逆にそれを合図にしたかのように、刀を抜き放つと突然走り出していった。
 それにロウやセンカが唖然とする中、なおもトウセイは龍人に向けて刀を振りかぶっていく。
「……」
 ただし龍人の方はそれを見ても全く動じず、やけにゆっくりとそちらへ振り返っていった。 その動きは緩慢で、まるで初めから避ける気などないかのように思える。
「うおお!」
 それでもトウセイは直後に思い切り刀を振り上げ、そのまま勢いよく振り下ろす。
 自分の全てを乗せたかのような渾身の一撃は龍人に吸い込まれるかのように向かっていくが、それが素晴らしい結果となってトウセイを喜ばせる事はなかった。
 龍人は軽く腕を振り上げただけで鋭い刃を軽く阻み、そこにあるうろこは真剣を防いでも全く傷ついてはいない。
 わずかに金属音が響いただけで相手は掠り傷すら負っておらず、逆に刀の方が欠けてしまいそうなくらいだった。
 どうやらその太く強靭そうな腕は、龍の力の介在していない普通の刀などでは微細な傷をつける事すら叶わないらしい。
「何……!?」
 トウセイがようやくそれに思い至っていると、龍人は直後にあっさりと刀を払い除けていく。
 だがトウセイの方は未だに眼前の光景を信じられないように見つめつつ、満足に応対する事も出来ていない。
 その状態は明らかに隙だらけでしかなかったが、本人はその事にすら気付いていないかのようだった。
 一方で龍人は呆然と立ち尽くすトウセイとは真逆に、水が流れるかのように滑らかに動いていく。
 そして音もなくトウセイの懐に入り込むと、腹の辺りを太い腕で直接殴りつけていった。
「ぐぁっ……。あ、がっ……」
 するとトウセイは鋭く突き刺さるような痛みと共に顔を歪め、苦しみの声を漏らしていく。
 そしてそのままたまらず地面に倒れ込み、その状態から立ち上がる事さえ出来なくなっていった。
 それとは違って龍人の方は、先程に化物を倒した時と同じようにただその姿をじっと見下ろしている。 顔には表情などほとんど浮かんでおらず、実に落ち着き払っていた。
「うわぁ、凄い。本当に凄いや。完全にあの肉体を制御出来ているなんて……。一体どんな方法を使って、龍の肉を体に定着させたんだろう……」
 そんな状況でもサクは一人だけ目を輝かせ、憧れのものを見るかのような表情で龍人を見つめ続けている。 小さく開かれた口から出る言葉も、ただ相手を賞賛するものでしかなかった。
「トウセイ!」
「トウセイさん!」
 それとは逆にロウとセンカは慌てたように叫ぶと、ほぼ同時にトウセイの元へと走り寄っていく。
「う……」
 その先ではトウセイは苦悶の表情を浮かべ、今もうずくまっている。
 すでに刀を手放して腹を押さえている状態では、ほとんど反撃の手段は残されていないに等しかった。
「……去れ」
 だというのに、龍人はそこからさらに追撃するような素振りは見せない。 いたぶる訳でもなく、止めも刺さずに静かに見下ろしているだけだった。
 それはまるで情けをかけているかのようであり、化物を相手にしていた時より力が抜けているようだった。
「え?」
 しかしロウはその短く小さいながらも、人が発するような滑らかな言葉遣いに戸惑っている。
 それはセンカも同じだったようで、二人は龍人を見つめたまま固まってしまう。
「……」
 一方で龍人は他に何も言う事はなく、側に倒れたままとなっていた化物を肩に担いでいく。 その重さは大人の数人を軽く超えていそうだが、龍人は軽々と扱っている。
 そしてそのまま振り返りもせず、この場からあっという間に立ち去っていった。 その速さは戦闘時から全く衰えておらず、やはり人並み外れた身体能力を持っているのが分かる。
「えっと……。助かった、のかな……」
 一方でその強さをまざまざと見せつけられたロウ達は、対照的にほとんど微動だにせずに立ち尽くすだけとなってしまう。
 それまでの出来事はまるで嵐が吹き荒れたかのように激しく、後に残るのも圧倒的な力に弾き飛ばされたものばかりだった。


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