第5話 龍人


「それは言われなくても分かるわ。肝心なのは、あなたが私の敵だって事」
 対するツクハはその言葉を聞いた途端、にんまりと表情を和らげていく。
「え?」
 ただしその表情と口にした言葉の刺々しさは一致せず、センカは思わずきょとんとしてしまう。
 だがツクハはもう答える事はせず、代わりに首筋には黒い紋様が浮かんでいく。
 そして黒い紋様はセンカが驚く暇もなく、脈動するかのように鈍い光を放ち出していった。
「センカ、離れろ! そいつは危険だ……!」
 すると次の瞬間、光龍がいきなり背後に姿を現していく。 慌てて叫ぶ姿はいつになく動揺し、事態はかなり切迫しているかのようだった。
「え……。え!?」
 しかしセンカはまるで状況が呑み込めぬのか、結局は右往左往してその場に立ち尽くすしかない。
「わっ! きゃぁっ……!」
 それでも直後にはセンカの体はいきなり後ろに傾くと、何かに引っ張られるようにしてそのまま後退していった。
 どうやらそれは光龍が勝手に体を操った結果であり、自らの意思によるものではないらしい。
「あら……。案外、龍との結び付きが強かったみたいね。それとも自分の体候補を失うのが面倒だったのかしら?」
 それを見たツクハは体の前で腕を組みつつ、残念そうに声を上げている。
 その眼前ではつい先程までセンカがいた場所で、黒い闇らしきものが溢れ出てきていた。 とても禍々しいそれは今も、床の下から染み出すようにして止まらない。
 ただしすでにそこには誰もおらず、それを見たツクハも意気消沈するようにして小さく息を吐いている。
 それと共に首筋の黒い紋様が消えていくと、同時に床にあった黒い闇も溶けるようにしてその場から消えていった。
「何と……。あれは闇龍の力ではないか……! だが馬鹿な、奴が人に力を貸すはずは……」
 一方で大きく声を発しているのは木龍であり、こちらもいつもとは違う様子を見せている。 龍人に対しては言葉も発さず、まるで意に介していなかったがその時とはまるで違う。
 サクの隣で目を見開くと他の者達と同様に驚いており、それだけの反応をするものがそこには現れていたようだった。
「闇、龍……? ねぇ、どういう事なのさ。木龍。何か知ってるのなら教えてよ」
「……我等と同じ龍だ。しかし我や光龍と違い、人を強く憎んでいる。奴に限って人と同化するとは思えんのだが……」
 そしてサクが不思議そうに顔を傾げていると、木龍はわずかに逡巡してから静かに呟いていく。
 同時に放たれる視線も警戒するように厳しくなり、その言葉を聞いたサクも動揺を隠せないようだった。
「だが現に、あいつの姉は龍の力を使っているではないか……。どういう経緯があったにせよ、龍と同化しているのは間違いないだろう」
 次にすぐ側にいたトウセイも、向こう側の様子を窺いながら言葉を発する。 龍人との戦いを終えてまだ傷や疲労が残っているようだが、まだ戦意は残っているのか視線はかなり鋭い。
「こ、光龍……。本当にそうなの? まさかロウさんのお姉さんがそんな事になっているなんて……」
「あぁ、間違いない。ただし闇龍の力は感じるが、存在自体は希薄だ。今はどこかで様子見しているのか……? だがそれにしても……。やはり、奴はまだ人を……」
 同じ頃にセンカも驚いた様子で問いかけていたが、対する光龍はいつになく緊張した様子だった。 その目は黒い紋様から周囲へと忙しなく向けられ、まるで何かを探し続けているかのように見える。
「光龍……。大丈夫?」
 そうしていると同化しているセンカには揺れ動く心理が直に伝わってきたのか、心配そうな視線を向けていく。
 ただし光龍がそれに答える事はなく、顔をしかめたまま何かを考え込むかのように口を閉ざしていた。
「……」
 そんな時、ずっと動きがなかったロウが霊剣を取り出して光の刃を纏わせていく。 顔を俯かせたままではあったが動きに今までの緩慢さはなく、そこには迷いなども一切見られなかった。
「あら、ロウ。もしかして、あなたが代わりにやってくれるというの?」
 するとツクハは見るからに嬉しそうに顔を綻ばせ、横からロウの事を覗き込んでいく。
「あぁ。俺に任せてくれ。手早く終わらせてくるよ」
 次にロウは顔を上げつつそう答えると、前方に狙いを定めて一気に走り出していった。
「え、え……?」
 その先にいたのはセンカだったが、こちらに向かってくるロウの姿を捉えても狼狽える事しか出来ない。
 まだ開きのあった両者の距離はそれからあっという間に縮まるが、それでもロウには止まる素振りさえなかった。
「……」
 そしてロウはずっとこちらを見上げてくるセンカを眺めながら、手にある霊剣を振り上げていく。 虚ろな目からは何も読み取れず、何でもない作業を淡々とこなそうとしているかのようだった。
 ただしセンカだけはその影の下で呆然として、今も目の前の光景をじっと見上げている。
 同じようにサクやトウセイもすぐ先の光景に現実感がまるでないのか、とっさに動けずにその場に留まったままだった。
 そして全員が注目する視線の先では、今すぐにでも霊剣が振り下ろされようとしている。
「させて、なるものか……!」
 だがそれよりも早く、その場には蛮行を阻むかのような光龍の声が響く。
 同時にセンカの首筋には金色の紋様が浮かび、そこからは放たれた眩しい光は一気に視界の全てを満たしていった。
「う……」
 ロウも光に目を眩ませると、目標を見失ったのか霊剣を振り下ろせずにいた。 片手は光を遮ろうと目の部分を覆い、無防備な姿を晒したままでいる。
 そしてそれは他の人間も皆が同様であり、突き刺すような明るさの中で何も見えないでいるようだった。
「ロウさん、どうして……」
 ただしセンカだけは光の影響を受けておらず、その間もずっとロウの事を悲しそうな目で見上げている。
 そしてそうしていると首筋からは紋様が消え、それに合わせるように光も少しずつ勢いを失っていく。
「ぅ……」
 やがて辺りが元の明るさを取り戻した頃、ロウはゆっくりと瞼を開いていった。 続けて指の間から周りの様子を窺うと、すぐ目の前にはまだセンカが佇んだままでいる。
 それを確認したロウはややふらつきつつも、顔を覆っていた手をゆっくりとどけていった。
「!」
 しかしその直後にロウの姿を見た者は、誰もが一様に驚きの表情を浮かべていく。
 どうやらその原因は、ロウの顔に現れていた黒い紋様らしい。 それは顔の至る所に広がり、まるで刺青を入れているかのようにも見える。
「あれは……。もしかして、あの時の私と同じ……?」
「あぁ。恐らくロウは闇龍に操られているのだろう。丁度私と初めて同化したお前のように龍に意識を体の奥底に追いやられ、自分自身はほとんど眠りについているのだ」
 センカは不気味なそれを眺めつつ呟き、光龍も頷きながら同じものを注意しし続けていた。
「……」
 一方のロウは言葉を発する事もなく、ただその場に立ち尽くしている。 まるで人形のように固まる姿からは、わずかな生気すら感じられなかった。
「成程な。では、少し前に戦った連中も闇龍に操られていたのか。道理で手応えがなかった訳だ」
「じ、じゃあ……。ロウさんのお姉さんもそうなのかな? こんな事をしてくるのも、自分の意思ではなくて……」
「それは断言出来ん。その可能性は低くはないだろうが、あそこまで自我を残しているのが気になる。龍の力を扱うのにも慣れているようだし、腑に落ちん事が多いな……」
 それを見たトウセイやセンカの言葉に対し、光龍は普通に答えているが顔色はあまり優れない。 肝心の答えも要領を得ず、そう言っている間も目線はずっとツクハの背後へ向けられている。
「そんな……。何でロウさんがこんな事に……。どうすれば元のロウさんに戻ってくれるの……?」
 それからセンカは一縷の望みに縋るようにロウの方を見つめていくが、相手は目も合わせずになおも固まったように動こうとしなかった。
「ロウ。大丈夫? 相手は不完全とはいえ、龍なのだからあまり無理をしてはいけないわ。やっぱり私が行きましょうか?」
 するとツクハは心配そうな表情を浮かべ、また顔を覗き込んでいく。 その表情には含むものなどなく、純粋に相手を思いやる優しい気持ちが伝わってくる。
「いや、いい……。俺だけで大丈夫だ……」
 ロウはそれを感じ取った事によって意識が戻ったかのように、直後には力を込めて霊剣の柄を握り締めていった。
 そして霊剣を再び構え直すと同時に、改めて前へと目を向けていく。
「ぁ……」
 その先にいたセンカは先程のロウの躊躇しない動きを思い出したのか、恐怖によって足を竦ませていた。 そのために逃げる事すら出来ず、ただその場で震えるしかない。
 一方でロウがそこへ狙いをつけて走り出そうとしていた時、ほぼ同時に駆け出していく者がいた。
「おい、いい加減にしろ……! 先程から一体何をやっているんだ、お前は……!」
 大きな足音を響かせながら割り込んできたのはトウセイであり、それから勢いのままにロウに斬りかかっていく。
 その顔は明らかに苛立ち、それを示すかのように刀の動きもかなり速い。 どうやら相手が傷つく可能性も厭わず、本気で攻撃しているようだった。
「……」
 一方でロウはそれを無表情で見つめ、体を捻っていくと向かってくる刃をすんなりと避けていく。 力の抜けた体の動きは最低限で、反撃するつもりなど全くないかのようだった。
 そしてそれ以降はまた動かなくなると、ただじっとトウセイを見つめ返していく。
「この、大馬鹿者め……!」
 トウセイはそのような訳の分からない行動を取り続けるロウに対し、吐き捨てるように言うときつく睨み付けていった。
 だがいくら険しい表情や非難するような声を向けられても、一向に反応は返ってこない。
 それどころかロウは霊剣を構える事すらせず、対照的にトウセイはそれからも刀を向け続けている。
 そんな二人はその場でしばらく無言のまま睨み合い、辺りは言い知れぬ緊迫感に包まれつつあった。
「……ロウさん。ロウさんはお姉さんを一生懸命に探されていたのではないんですか?」
 しかし次の瞬間、それを打ち破るかのようにセンカが口を開いていく。 その顔は俯いたままで声も深く落ち込み、潤んだ目は泣き出しそうな程に震えていた。
「……!」
 するとそれに対し、これまで明確な反応を見せなかったロウがびくりと体を震わせていく。 虚ろだった目も以前より見開かれ、今はセンカの方をしっかりと見返していた。
「辛い出来事も乗り越えて、やっとお姉さんにお会い出来たのに……。私にはどうなっているのか分かりませんけれど……。ロウさんは、本当にそれでいいんですか?」
 それからセンカは悲しみを堪えるかのように、強い力で自分の服を掴んでいく。 その様は自分ではどうにもならない事に悔しさを覚えているかのようで、呟く声にもそれだけの思いが込められている。
「……」
 だがやはりロウがそれに答える事はなく、辺りを包む静けさにも変化はない。
「う、うぅ……」
 それでも表情は同じままとはいかず、苦しげな声を漏らしながら確かに歪みつつあった。
 そしてロウの異変はそれからさらにひどくなり、呻き声と共に片手で頭を強く押さえていく。
「ぐ、あぁぁぁっ……」
 それは耐え難い苦痛に苛まれているかのようで、やがて強く目を瞑りながらその場に倒れ込みそうにすらなっていた。


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