「あれは……。何がどうなっているのですか、フスイ殿」
村長も不思議な行動を見ると訝しげな表情をして、思わず近くにいる巫女の護衛の方へ声をかけていく。
「龍の姿が見える人間は数少ない。あれは限られた人間だけが持つ、一種の才能のようなものだ。ここは黙って、我らが巫女様に任せておけ」
直後に男達の陰から現れたのは、神主のような特殊な格好をした男だった。
その外見は顔の半分を覆い隠すような仮面に加え、態度もかなり高圧的に思える。
どうやら立場からして護衛を取り纏めているようだが、その存在はどことなく不気味な護衛の男達よりもさらに異質なものだった。
「は、はぁ……。わ、分かりました……」
村長も言い知れぬ何かを感じて萎縮したのか、空返事をした後は大人しく黙り込んでいく。
「あ……」
そのすぐ後にセンカが少し頭を上げたかと思うと、視線の先には眩い光が忽然と現れて周囲を白く染め上げていった。
「……!」
様子を窺うロウ達が眩さに思わず目を細める中、時間の経過に従って光は段々と弱まっていく。
やがて全てが元に戻った時、その場にいる全員が大きく目を見開いて息を呑んでいった。
センカの眼前には、龍がいる。
その肉体は優に人の数倍はあり、音もなくその場に現れてじっと佇んでいた。
龍には長い首や背中から生える翼、四本の足に尻尾まである。
ただしその体はぼんやりと薄く発光していて、まるで実体のない幽霊のようでもあった。
それでも確かに充分な神々しさを感じさせる姿は、まさに龍神と呼ぶにふさわしく思える。
「あ、あの……。突然の訪問をご容赦ください。わ、私達はあなた様の眠りを妨げにきたのではありません。あの、あなたが龍神様でしょうか……?」
「いかにも。私は龍だ」
「あ、はい。えっと、私の名前は……。センカと申します。よ、よろしくお願いします……」
センカはやがて恐る恐る顔を上げていくが、反対に見下ろしてくる龍との間では結構な落差がある。
さらにややびくついた様子で視線は安定せず、龍の事もなかなか直視出来ずにいるようだった。
「……名か。私は光龍という」
対照的に澄んだ声を発する龍の方は、センカと違って実に堂々としている。
それでも人の姿を見るのは珍しくあるのか、しげしげとセンカを眺めたまま視線を外す事がない。
「光龍様、ですね……。そ、それで実は……。えっと……。ここに来たのはり、理由がありまして……」
一方でセンカは少しずつ、無礼などないように言葉を選んでいる。
とは言え体の大きさや態度の違いから、それはまるで大人と幼い子供が話しているかのようだった。
「お、おい。ひょっとして、巫女様には龍神様が見えておられるのか?」
「多分……。あれが独り言でなければ、そうなんじゃないか?」
「そうなのか。俺にはまったく見えんが……」
「お、俺も……」
同じ頃、少し離れた位置にいる若者達は身を寄せながら話し合っている。
ただし彼等には龍が見えていないのか、状況がいまいち掴めていないようだった。
そのために声を潜めて様子を窺うくらいしか出来ず、混乱はあっても大した騒ぎにはなっていない。
「あれが龍……! 本当にいるとは……。ん? でも他の皆には龍が見えていないのに、俺には見えている……。一体どうして……?」
ロウも同じように傍から眺めているに過ぎなかったが、その目はしっかりと光龍の事を捉えている。
きらきらと輝くようなその瞳は、未知なるものへの感動で溢れているかのようだった。
だが直後には何かに気付いたように考え込むと、にわかに生じた悩みについて考え込んでしまう。
「村長、もうすぐだ。とっくに出来ているとは思うが、心の準備だけはしておけよ」
「は、はい……」
そのすぐ側では村長とフスイが何やら怪しい会話をしているが、特に気にかける者はいない。
この場にあって誰もが注目しているのはセンカと光龍の方であり、肝心の両者はと言えばまだぎこちない会話を続けているようだった。
「あ、あの……。光龍様……」
「何だ」
「えっと……。実はわ、私と……。同化、して頂きたいのです」
しかしセンカも遂に決意を固めたのか、相手をじっと見据えるとはっきりと言い切る。
「……成程。わざわざ来たのはそのためか」
「は、はい」
「大方、都合の良い側面ばかりを聞かされてきたのだろう。それがどのような結末を己にもたらすか、知る由もなく……」
対する光龍はわずかに目を伏せると、真っ直ぐに向けられる視線から背けるように顔を動かしていった。
「光龍、様……?」
「とは言え、私もいつまでもここにいる訳にもいかない。確かめねばならぬ事も山程ある……。よし、いいだろう。私は、お前と同化する事とする」
センカが憂うような反応に顔を傾げている間も、光龍はさらに表情を険しくしていく。
それでも最終的には正面に向き直ると、これまで通りの超然とした姿を見せていった。
「ほ、本当ですか……。あ、有難うございます。光栄です! その……。今日この時までずっと、とても現実とは思えないくらいです……!」
一方でセンカはその言葉に緊張が解けたのか、明るい表情になると思わずその場で飛び上がっていく。
それによって足元の水も大きく跳ねると、周りに幾重もの波紋を広げていく。
それらはしばらく消える事なく、水場の隅々にまで広がり続けていった。
「いいから、あまり騒ぐな。同化に際して、お前が特に何かをする必要はない。全ては私の方で行うから、お前はそのままそこでじっとしていろ」
「は、はい……。あの、どうか……。よろしく、お願いします……」
次に光龍が静かに目を閉じていくと、センカも再び緊張に身を固くしていく。
そしてセンカも強く目を瞑って辺りが静まり返ると、やがて不意に光龍の体が金色の光を帯びていった。
その輝きは徐々に勢いを増しながら、光龍の全身を丸く包み込んでいく。
さらに眩しく光る球はその大きさを人の頭程度まで縮めると、今度はセンカの方へ向かって飛んでいった。
丁度その時、センカの足元にあった波紋と光龍の変化の際に起こった波紋がぶつかっていく。
同様に今その瞬間にも、センカと光球に身を変えた光龍がその身を重ね合わせようとしていった。
「なっ……。あれが同化なのか!? な、何て凄まじさだ……!」
ロウはその光景をどうしても見届けたいのか、どれ程の眩しさに晒されようと目を閉じたりはしない。
そうしている内に前方の方にある光は徐々に輝きを弱め、突き刺すような眩しさもゆっくりと収まっていく。
光が完全に消え去った後、その場に立っていたのはセンカ一人だけだった。
つい先程までそこにいたはずの光龍の姿はどこにもなく、静かに揺れる水面だけが唯一動き続けている。
「お、おい。一体どうなったって言うんだ? 何だか、物凄い事が起こっている感じはするんだが……」
「分からん……。巫女様は一向に動かれないし……。ご無事、なのだろうか?」
傍から見ていた若者達からすれば現状は理解不能なのだろうが、その一方で巫女を守るはずの男達は動揺する素振りを欠片も見せない。
横一列に規則正しく並んでわずかに身じろぐ事すらなく、ただ何かをじっと待ち続けているかのようだった。
「ふっ……。どうやら、全てはつつがなく終わったようだな。それでは行こう。楽しい、楽しい収穫の時間だ」
すると次の瞬間、フスイは不敵な笑みをこぼすと軽く手を上げていく。
それを合図とするかのように男達は無言で頷き、それぞれの役割が決まっているかのように躊躇いなく動き出す。
等間隔に散らばりながら全方向を満遍なく抑える様は、まるで何かを包囲しようとしているかのようだった。
「おい、センカ……? さっきのは何だったんだ……? 龍が消えてしまったけど、センカは大丈夫なのか?」
一方でロウはそんな周囲の変化に気付く余裕もなく、ずっとセンカの方を心配そうに見つめている。
すでに光が消えてからしばらく経つが、センカは未だに動く気配すら見せていなかった。
加えてこちらに背を向けているために、表情すら定かではない。
「な、なぁ……。どこか体の調子とか、気分でも悪くなったのか……? 無事ならせめて、何とか言ってくれよ……」
やがてロウはその場に突っ立っているのが我慢出来なくなったのか、いきなり水場へと足を踏み入れる。
そして声をかけながら肩の方へ手を伸ばそうとすると、センカは声に反応したかのようにゆっくりと振り返ってきた。
「……!」
ロウはその表情を見た瞬間にひどく驚き、大きな足音と共にその場で立ち止まってしまう。
ほんの少し前までセンカは笑顔の絶えない優しげな少女だったが、現在の瞳には何の色も浮かんでいなかった。
それどころか目の焦点はずっと一点で固まり、虚空を見つめているような様は人形のような作り物に近い。
生気を限界まで削ぎ落としてしまった風に見える姿は、これまでとは全く違う別人のようにすら見えた。
「何だよ、これ。一体、どうしたって言うんだ。もしかして同化って、かなり危険な事だったのか……?」
ロウはそれからもひたすら困惑するしかなく、近づく事も遠ざかる事も出来ずに立ち尽くしている。
眼下に揺らめく波紋だけが水面を淡々と伝い、今はようやくそれらがセンカの足に届こうとしている所だった。
「いや……。特に案ずるような事は何も無い。この娘の意識は魂の深層に潜っているが、失われた訳ではない。一時的に眠っている、とでも言った方が分かりやすいか」
やがて波紋をその身に受けると、それに反応するように小さく口が動かされていく。
その表情はほとんど変わっていないが、目にだけはわずかに活力のようなものが宿っているようだった。
「え……。寝ているって……。よく分からないけどセンカは大丈夫、なんだよな?」
「うむ。同化は無事に成り、破綻した機能なども無い。まだしばらく眠り続けるか、それとも起きるかはこの娘次第だが……。深刻に憂慮する必要もないだろう」
それからロウが探るような視線を送ろうと、センカに気にする様子はない。
自分の手や体などを珍しそうに見渡し、その語り口は一人だけやけに落ち着き払っていた。
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