第1話 龍


「さてと……。うーん……。あの子はどこにいったかな?」
 森を出てからしばらく歩いた後、ロウは特に迷う事もなく村に辿り着けたようだった。
 村自体の規模はそれ程大きくなく、辺りには木造の家や田畑などがいくつも存在している。
 そこはどこにでもあるような典型的な田舎の村といった様子で、周囲は自然に溢れたとても緑豊かな所だった。
 だがどういう訳か、いくら歩いていっても人家の中にも畑にも人影がない。
「うん……?」
 それに違和感を覚えているとその内、ロウの耳には人の声が届いてきた。 そのままそちらへ足を進めていくと、段々と多くの人のざわめきが増えていくのが分かる。
 やがて村の広場らしき所に辿り着くと、そこには想像以上に大勢の人がいた。
 それは村の人間の全てが揃っているかのような賑わいで、笛や太鼓の音色も合わさってかなりの賑やかさを見せている。
 丁寧に切り揃えられた色とりどりの紙が舞い散る様は、どこか別世界のような様相を思わせた。
 そしてそんな場にあって、中心には誰かを囲むようにして大きな人の輪が出来ている。
「おっ」
 ロウがやや背伸びをしてそこを覗き込んでいくと、そこにはさっき会ったセンカの姿があった。
 加えてその側にはセンカを迎えに来た男達も、それぞれ隣に立っている。
 その周りを見ると、同じような格好をした男達がさらに数人程いた。
 どうやら龍神教の関係者なのだろうか、全員がセンカを守るようにして周りを警戒している。
 さらにセンカの隣には立派な杖を持つ威厳に満ちた姿の老人が立ち、何かを和やかに話していた。
「村長」
 その時、どこからか一人の村人がやって来ると老人に声をかけてくる。
 村長と呼ばれた老人も彼から話を聞くと真剣な顔つきになり、村人に先導されてどこかへ行ってしまった。
「うーん。これは一体、何なんだろうな……?」
 一方で傍から眺めるロウは分からない事ばかりのためか、首を捻りながら疑問の表情を浮かべるだけとなっている。
 ただしここに集まる村人達からすれば、今現在は喜ばしい事が起こっているのは間違いないらしい。 誰もが笑顔を絶やさず、センカの事を心から歓迎しているのが伝わってきた。
「お? 兄ちゃんは旅の人かい? ここら辺では見かけない顔だな」
 そんな時、ふと横から何者かが近づいて話しかけてくる。 威勢の良さそうな中年の男は周囲の素朴な風景とは不釣り合いな程、派手で華美な上着を着込んでいた。
「えぇ、そうです。俺はロウって言います。あの……。これは一体何をしているんですか?」
「あぁ……。あれはな、龍神様について詳しい専門家を村に呼んだんだ。何でも龍神様の許可を頂いて、ある儀式を行うんだとよ。それで今、その準備が出来た所らしい」
 次にロウがそう言うと、中年の男は慣れた手つきで短く伸びた髭に手を伸ばす。 その目は流れるように他所へ向けられ、センカの方をじっと眺めていた。
「……龍、ですか」
「あぁ、それでもうすぐ出発されるから巫女様を村の皆で見送っているって訳だな。おっと、そういやまだ名乗ってなかったな。おいらはゴウドっていうんだ。よろしくな」
「あ、はい……。それで龍っていうのは、どういうものなんですか?」
 ロウはすぐ側から聞こえてくる声に耳を傾けつつ、同じように視線をセンカの方へ向けていく。
「何だ、最近の若い奴は龍神様の事も知らないのか? 仕方ないな……。まぁ、龍神様は滅多に人と会われないから若いお前さんが知らなくても無理はないか」
「は、はぁ……」
「それにこの辺りに龍神様が姿を現されたのも、伝承通りなら数十年ぶりだしな。よし、龍神様の事が知りたいならおいらが教えてやろう」
 やがてゴウドは急に張り切り出したかと思うと、ロウの方を向きながら意気揚々とした表情をしていった。
「いいか。龍神様は不老不死の体、それにありとあらゆる知識を持っておられる。おまけに人には想像もつかないような、不思議な力も使えるんだよ!」
 そして語っていく内に気分が高揚してきたのか、語気を強めるとすぐ近くまで詰め寄ってくる。
「へ、へぇ……。そんなに凄いんですか」
 ロウはその雰囲気に若干圧倒されたのか、驚きながら少し後ろに退いてしまった。
「でも最近は滅多に人前にお姿を見せなくなっていてな。何日か前に近くの森で見つかった時には、そりゃ大騒ぎだったんだぞ?」
 それでもゴウドは構う事なく、なおも手振りを交えながら話し続ける。
「でも正直、どうすりゃいいのかなんて分からなかったからな。龍神教の方に連絡して、わざわざ巫女様に来ていただいてだな……」
 しかし不意に難しい顔をしたかと思うと、腕を組んで何度も頷きながら呟いていく。
「でも、龍なんて本当にいるんだろうか。あの子は、龍が存在すると信じているようだった。でも、そんなものが本当にいるっていうのか?」
 一方でロウはというと、その話を真面目に聞いてはいないようだった。
 どうやら未知の存在である龍というものが実在するのを、にわかには信じられないでいるらしい。
 だからこそセンカやゴウドの言葉を聞いても、疑いを残したような表情が晴れる事はなかった。
「ちょっといいですかい?」
 そんな時、一人の若者がその場に急に割り込んでくる。 遠慮がちで申し訳なさそうな態度をしているが、仕草や雰囲気からは焦りのようなものが感じられた。
「おぅ、どうした? 何があったんだ?」
「実は問題が起きたらしいんですよ……。どうやら若い連中が皆して……。その所為で……」
 ゴウドと相対した若者は口に手を添えつつ、声量を抑えながら少し言い辛そうに話していく。
「何だと……。そりゃ大問題じゃねぇか!」
 だがゴドウはその直後、それとは真逆にかなりの大声を上げていった。
 あまりの声量に若者は思わず面食らうと、周囲の目も自然とこちらに向いていく。
「で、ですから……。いつまでもぶらぶらしていないで戻ってきてくださいよ。俺達だけじゃどうしていいのか見当もつかないんで……」
 それから若者は顔をしかめつつも、なおも小声でそう付け加える。 その様子は事情を知らない身から見ても、本当に困っているのがよく分かった。
「おぅ、分かった」
 やがてゴウドも納得したかのように腕を組むと、大きく頷きながら力強い言葉を返す。
 若者はそれを見てようやく安堵したのか、全身から力が抜けていっているようだった。
「なぁ、ロウさんだったか。すまんが、おいらはちょっと抜けさせてもらうよ」
 そしてゴウドはロウの方を向くと、素早く手をかざして謝罪と断りを伝える。 口元は緩んでいたが、目の奥には今までにない鋭さが含まれていた。
「え、えぇ……。お構いなく」
 それを見たロウは先程とは少し違った意味で圧倒され、言葉少なげに小さく頷く。
 次いでゴウドは若者を引き連れるように歩き出すと、二人はどこかへ足早に立ち去ってしまう。
「それにしても、龍か……。ま、あまり期待しないで行ってみるか」
 ロウはそんな二人の背中を眺めながら軽く溜息をつくと、頭を掻きながら気を取り直したように呟く。
 そして改めて前方に向き直ると、ゆったりとした歩みで歩を進め出していった。

「あの子は……。あ、あそこだな」
 ロウはそれから再び人の輪のすぐ側の辺りまで戻ってくると、すぐに視線の先でセンカの姿を見つける。
 しかし周りにいる人の数はなかなか多く、容易にはその元に辿りつけなさそうだった。
「えっと……。ちょっと、すいません……」
 それでも謝りながら人の間をかき分けると、何とか前へ前へと進んでいく。
「ん?」
 やがて村人の間は何とか通り抜けられたが、そこでセンカを守る男達が目の前に立ち塞がった。
「……」
 幾人もの男達は険しい顔をし、絶対に誰も通さないという意思だけが伝わってくる。
「あぁ、さっきはどうも……。えっと、ちょっとそこを通してくれますか?」
 ロウはそれでもとりあえず、そう言って笑顔を浮かべながら頼んでみた。
 それでも男達の表情や反応は相変わらずで、無言のまま微動だにしない。
 全員が変わる事なく鋭い眼をしており、そこから放たれる無数の視線はロウを威嚇するように睨みつけてくる。
「あはは、駄目か……。いや、無理ならいいんだ。個人的な興味だったし、うん……」
 蛇に睨まれた蛙のように固まったロウは、かろうじて笑顔を浮かべるしかなかった。
「はぁ……」
 そして押されるようにあっさりと引き下がった後は、小さく溜息をついて残念そうにするしかない。
「ふん……。どこの馬の骨とも知れん者が……」
 一方で男達は小さく鼻を鳴らした後に周囲に視線を散らし、引き続き誰もセンカに近づかないように努めている。
「あれ……? あ、あの方はさっきの……」
 そんな時、男達の大きな体の向こう側からはその隙間を縫うようにして不意に柔らかな声が耳に入ってきた。
「あの、皆さん……。この方は大丈夫ですから、通して差し上げてください」
 どうやらセンカはつい先程、ロウが困ったまま立ち尽くしているのに気付いたらしい。
 それから男達のすぐ側までやって来ると、どこか遠慮がちに言ってくる。 それは屈強な男達を間近にしたために、やや表情が強張っているようにも見えた。
「承知しました。全ては巫女様の御心のままに……」
 一方でその言葉を受けた男達は逡巡した後、同時に一礼をしてから規則正しくその場から退いていく。
「ふぅ……。助かったよ」
 ロウはそれを見て一息つくと、疲れたように汗を拭う。 なかなかの緊張だったためか、その額にはいくらか冷汗も浮かんでいた。
「あの、確かロウさんでしたよね。一体、どうされたのですか? この村に何か用事でも?」
「いや……。事前に予定があった訳じゃないんだ。ただ、龍の話を聞いて見てみたくなってさ。だから龍に会いに行くのに、俺もついていってもいいかな?」
 続けてセンカはロウを見上げながら問いかけた後、その答えに少し驚いた表情を浮かべていく。 それでも答えを発しようと、すぐに口を動かそうとしていった。


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